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#13【お悩みに答えます】自分の無能さが嫌で仕方がない!

 こんにちは、人馬交流分析士のりょーじ(@Horse Value)です。人馬交流分析って何?りょーじって誰?それをやって何になるの?という疑問への答えは#1をお読みください!

 僕が馬と人との交流を題材として、人間の生活を豊かにしたいと考えているお話を#2~#7でしてきました。
 

 ただあんまりまだピンと来てない皆さんのために、馬との交流体験が実際にどんな風に生活に活かされるか、具体例をあげてお話ししていきたいです。

 そこで、皆さんがもつお悩みを一つづつ見ていき、そのあと馬との交流体験から得た学びで解決策を提案する、という形式でこの何回かは進めていきます。

 では早速本日のお悩みを見ていきましょう。

 
 「自分の無能さが嫌で仕方がない」

 これは大きなテーマですね。そこまでではなくても、自分に自信がない、自己肯定感が低い。程度はあれど皆さんはそういった自分の一面を嫌だと思うことがあるでしょう。

 劣等感を抱いたことのない人の方が実際少ないと思います。

 僕が馬との交流から得た経験を頼りにして、そんな劣等感を自分から取り外していきましょう。

 今日のラインナップはこちら!
・有能さ、無能さは幻想
・必要な能力は時と場合によって違う
・今日無能な僕も明日有能になれる

 かなり断定的な言い方でホントかよ!と思ったはずです。でも、最後まで読んだら必ず納得できるはずです。

義務教育での体験の多くは子供達に有能さ・無能さという幻想を与えがちです


有能さ、無能さは幻想

 これは断言します。有能さ、無能さは幻想です。

 これは2つの点から断言できるんです。
 ①状況によって必要な能力は違う
 ②誰もが変化することが出来る

 この後、この2つについて馬との体験談を交えながら説明していくのですが、その前にここでは大前提となる考え方についてお話しします。

 私たちは誰もが特別な、唯一無二の存在です。

 「No.1にならなくてもいい、元々特別なOnly One」という歌詞は多くの日本人が知っているんじゃないでしょうか?SMAPの世界に一つだけの花の歌詞です。

 この歌詞が僕の今日言いたい全てです。
 でもこれには少し解説が必要だと思います。なぜなら僕自身が小さい時思ったからです。「Only Oneは当たり前だからNo.1を目指す」と。

 でも小さい時の僕は気づいていませんでした。

 誰にとって、どんな場面での、No.1なのか?という大切なことに。

 そして今ならはっきりと言えます。誰もがOnly Oneで、誰もがNo.1になれる。

 だとしたら、有能さ、無能さは幻想ですよね。細かい解説はさっきお話しした2つの要素に分けてお話していきましょう。

必要な能力は時と場合によって違う

 先ほどのNo.1についてのお話についてもう一度考えてみましょう。

 子どもの頃の僕が気づかなかったこと。誰にとって、どんな場面での、No.1なのか?というものの見方。

 それこそが重要なことです。

 馬の例で見てみましょう。

 ここに2頭の馬がいたとします。今、この2頭(AとBとしましょう)はそれぞれ「A:走るのが速い」と「B:走るのは遅い」という特徴を持っているとします。

 この場合、どちらが有能でしょう?

 例えば、馬2頭で競争させるとしたら…Aが有能でしょう。

 でも、馬に乗ったことのない誰かを乗せるとしたら…Bが有能でしょう。

 脚が速いということは「競争に勝てる、逃げるのが速い」というメリットがある一方で、「初心者の人間が乗るには動きが早すぎて危険」というデメリットにもなるのです。

Horse Valueのワタリ君は速く走ることは苦手でした。走りたくなかった彼は今観光乗馬にとっては安心・安全で最高のお馬さんです。

 このように「誰にとって」とか「何をするか(どのような場面か)」によって有能さ・無能さは変化します。

今日無能な僕も明日有能になれば良い


 こういった話をするといじわるな意見を言う人がいるんじゃないですか?
 
 じゃあ「競争するなら脚が速い方が有能」こういう条件付きの有能なら良いだろ?

 残念ながらそうではありません。誰しも成長できるからです。

 僕がそう思った体験をお話しします。

 僕が馬に乗るスポーツ、馬術を本格的に始めたときの話です。僕はどうしてもうまく扱えない馬がいました。その馬に乗ると全ての動作が上手くいきません。

 僕は自分の技術の至らなさを責めました。そして、その馬に乗ることを断念しました。そして思いました、「僕はその馬とは相性が悪い、苦手だ」と。

 1年以上月日がたって、僕は再びその馬に乗りました。
 僕はなんてことはなくその馬を乗りこなしました。

 その時に僕は気づいたんです。その子(馬)は僕に「無能だ」というレッテルを貼ったわけではなかったんだ。ただただその時の僕の至らない技術がその馬にとって嫌で拒否をされただけだったんだ、と。

馬は僕たちにレッテルを貼らずに常に「今、ここ」にあるものに反応している


 僕は1年以上苦手意識を持ったまま「合わない馬なんだな」という認識でずっといたのですが、相性とか技術以外の何かだと思い込んでいた僕はとんでもなく間違っていて、ただただその時僕のやり方が嫌だっただけなんだ、ということに気付いたのです。

 そして再び出会った僕に対してその馬は初めて会うような新鮮な気持ちでいてくれて、その時の僕は上手になっていたのですんなり受け入れてくれたのです。
 

 その時僕は思いました。「僕は変わることができた。そして、その馬は僕を無能と思い込まずに受け入れてくれた。僕も、自分にも誰かにも有能・無能のレッテルを貼るのはやめよう」と。


 これが「自分の無能さが嫌である」への回答です。

 もちろん頭で理解できたとしても、それが実感できるのは先でしょう。

 でも、まずは頭で理解して、それを意識して行動してみてください。周りを観察してみてください。そうすれば、少しづつ見方が変わってくるはずです。

【お悩みへの回答】有能さ、無能さは幻想です。自分にも、誰かにもそのレッテルを貼るのをやめましょう。自分が無能だと思う人の有能な一面を見つけてみましょう。

 明日も一日頑張りましょう!

  競走馬としては才能がなかったワタリ君も今は同じ能力で大活躍!

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