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結露の向こうに見えるもの(永遠のソール・ライター)

2013年に亡くなった写真家ソール・ライターの回顧展に行ってきた。

もともと今年1月から開催されていたものの、新型コロナウィルスのため会期途中で中止となっていた。その一方で、持ち主であるソール・ライター財団の拠点であるニューヨークがロックダウンとなり作品返却が困難になっていた。日本で保管せざるを得なかったことが幸いして(関係者の皆さま、お疲れ様です……)、作品と直接出会うことができた。

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ソール・ライターはその東10丁目のアパートに、1952年、28歳の年に移り住み、そこで人生を終えた。実に60年以上にわたっておなじ部屋に暮らしたのだった。
(『ニューヨークが生んだ伝説の写真家 永遠のソール・ライター』P287より引用)

ニューヨークという「動き続ける」都市に住み続けたソール・ライターさん。彼の目に、ニューヨークの街並みはにどう映っていたのか想像するのは難くない。

それくらい、彼の写真には肩の力が抜けたような、ニューヨークの街並みに入っていけるような親近感のある写真が多い。

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例えば「薄紅色の傘(英題:Purple Umbrella)」。

小間の一部と露先が、写真の上方にささやかに写る。

それ以外は湿った路面と2台のタクシーがボヤけて写る。歩いていると、東京でもこんな景色にいつだって遭遇するだろう。なんてことない日常だけど、薄紅色の傘と雨のコントラストが美しくて、雨の日さえスタイルと化す。

1950年代に撮られたこの作品は、70年近く時を経ても古びていない。

ニューヨークという街の、品格なのかもしれない。

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以下は「雪(英題:Snow)」という作品。

とても寒い日、カフェで寛いでいる刹那「そと」のことが気になってくる。

窓越しに、結露で視認しづらい「そと」が、ちょっとだけ謎めいて感じたのだろう。結露は意図せず好き勝手流れ、独自の模様を描いている。「そと」の人と呼応するように見えていたかもしれない。

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私に写真が与えてくれたことのひとつ、それは、見ることの喜びだ。
(”One of the things photography has allowed me is to take pleasure in looking.”

このように世界を歓迎するように思える姿勢、その手段を、僕もいつか持てることができたら、どれだけ幸せだろう。

成功者になれる人生か、大事な人に出会える人生か。私なら大事な人と出会える人生を選ぶね。人と心を寄せ合える人生を。
(”If I had to choose between being successful and not having someone or having someone, I'd prefer to have someone who I cared about, who cared about me.”)

片時も忘れたくない言葉だ。伝説の写真家は、人生の至言と膨大なフィルムを残して去っていた。

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とても素敵な回顧展です。会期中(〜9/28)にぜひ。

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