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映画「シン・ウルトラマン」で描かれなかったもの

昨日に引き続き、映画「シン・ウルトラマン」のことを考えてみる。

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「シン・ウルトラマン」では人間の死が描かれない

僕は映画を観る前まで、「現実 対 虚構」というキャッチコピーがついていた「シン・ゴジラ」と、「シン・ウルトラマン」を同じような世界観、地続きになっているものだと思い込んでいた。

だが、実際はかなりの相違があった。

分かりやすい例でいうと、「シン・ウルトラマン」では人間の死が描かれない

「シン・ゴジラ」の場合、蒲田の街を暴走したゴジラによって、多くの人が亡くなったというシーンが描かれている。長谷川博己さん演じる主人公・矢口蘭堂は、瓦礫と化した街に手を合わせる。死者を悼む行為として。

また、永田町からヘリコプターで脱出を図る首相をはじめとする主要閣僚たちが、ゴジラの攻撃を受けるシーンも描かれた。日本のリーダーたちがあっけなく殺されてしまうショッキングな映像は、ゴジラの存在が未曾有の危機であることを印象付ける。

人が死ぬシーンには、何かしらの「理由」が付与されていたのが「シン・ゴジラ」だった。それがフィクションであったとしても、映画を作る人間にとっての誠意だろう。

だから「シン・ウルトラマン」で、都市部のビルが次々と破壊されてしまうことに強烈な違和感を覚えたのだ。これによって、何名もの命が失われてしまったのだろうと。

フィクションなので、劇中に人間が何人殺されようと、心がはち切れるほど痛むわけではない。それでも、多数の人間がいるであろうビルが次々と破壊されていく様子に、気分が萎えてしまった。

さらに、「シン・ウルトラマン」では、死んでしまった人々の姿が、まるで映されない。矢口が死を悼んだ「シン・ゴジラ」に比べて、あまりに命が軽視されているのではないか。驚くべき相違に、頭を抱えてしまった。

同じ「シン」でも、物語の構造がまるで違う

だがいまでは、(半ば強引に)納得している。

結局のところ、同じ「シン」が冠についているとはいえ、物語の構造がまるで違うのだ。それは監督による独断的な意思決定でなはなく、製作陣が「ウルトラマンとは何か」を考えた末に、そういった演出を決めたのだろう。

同じ特撮怪獣映画でも、ウルトラマンとゴジラは、全然違うのだ。

つまり「シン・ゴジラ」が「現実 対 虚構」を物語の構造に据えたの対して、「シン・ウルトラマン」は虚構フィクションをもとに物語が展開されている。その理解を抜きに、「シン・ウルトラマン」に対する批評や評価は成立すらしない。

もちろん虚構フィクションだからといって、人の死を軽く扱って良いわけではない。社会通念を大きく逸脱したような演出は、何かしら「理由」が必要になる。

だが、あえて「ウルトラマン」という虚構フィクションを解釈したとき、「死」にまつわる状況説明は、演出上、不要と判断しても許容できるかもしれないと僕は(半ば強引に)納得している。

好き嫌いを超えて、映画を楽しむ

それなりに長いテキストを通じて、「シン・ウルトラマン」に「死」を想起させるシーンがないことへの私見を述べた。

とはいえ、映画を観ている間に「それでもビルが次々と破壊されていくのは違和感があるよなあ」と思ったのは事実だ。

映画の批評としての言語化を試みたときに、「これが製作陣による、ウルトラマンという虚構フィクションに対する解釈なのだ」と、(半ば強引に)自分の心を落ち着かせた。

ただ、個人的な好き嫌いでいうと、「あまり好きではない」という方に分類してしまうだろう。僕はかつてウルトラマンが好きだったし、いまでもウルトラマンに対する愛着はある。

「シン・ウルトラマン」を観てはっきりと分かったのは、僕はウルトラマンという虚構フィクションを通り抜けてしまったのだということ。

言うまでもなく、ウルトラマンが悪いわけはない。「シン・ウルトラマン」を作った製作陣に問題があったわけでもない。僕がこれまで生きてきた過程において、少なくとも現時点では、ウルトラマンの世界観を受け入れられなかっただけだ。(もしかしたら将来、またウルトラマンと交わりを持てるかもしれない)

これは「アクション映画が好き」とか、「ホラー映画は嫌い」とか、そういうレベルの話と同様だ。ホラー映画にも名作があり、ずっと語り継がれるべき作品があるのは周知の事実である。とはいえ、どうしても「血が苦手だ」「怖いのは耐えられない」という人もいる。その人が悪いわけでもないし、ホラー映画というジャンルの価値が減じられるものでもない。

ただただ、相性がマッチしなかっただけだ。

相性が悪いジャンルや作品を、無理やり観る必要はない。

だけど、個人的に相性が悪かったとしても、社会的に高く評価される作品というのが確実に存在する。作品の中で、どんなに社会通念に反した行動を取ろうとも、エンターテイメントとして認められることもあるのだ。(逆に「映画のつくりかた」に忠実な作品が、全く認められないこともある)

映画を楽しむ上で、個人の好き嫌いを凌駕するケースって、めちゃくちゃあるよ、と、僕は言いたい。

「こんな視点があるのか」
「価値観を揺さぶられてしまった」

映画を愛する人なら、誰しも感じたことのある感想だろう。

作品で描かれていることに躍起になる気持ちも分かるけれど、描かれなかったものの行方を想像するのも楽しい。

他に、「シン・ウルトラマン」で描かれなかったものは何だったのだろう。決して僕は「シン・ウルトラマン」のことを好きではないけれど、描かれなかったものの行方は気になってしまうのである。

──

(映画間で観ました)

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