会話が生まれ、ドラマが立ち上がる(坂元裕二『往復書簡 初恋と不倫』を読んで)

映画「花束みたいな恋をした」で監督を務めた土井裕泰さんは、坂元裕二さんの脚本の魅力を次のように語っている。

第一に会話劇であることです。知らない者同士が知り合って、お互いを知りたいという気持ちから会話が生まれ、そこにドラマが立ち上がっている。なおかつその後ろには登場人物たちが生きている社会が透けて見えてくる。しかもどちらかというと社会的な強者ではなくて、メインストリームからややはずれた人たちの小さな声をすくいあげてゆくことで、普通だったら見過ごされていくような場所に光が当たり可視化されていく。そこがとても好きなところです
(映画「花束みたいな恋をした」OFFICIAL PROGRAM BOOK P45より引用、太字は私)

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土井さんの賞賛の意味を知る上で、坂元裕二さんの小説『往復書簡 初恋と不倫』はうってつけだ。地の文が一切なく、男女の手紙 or メールのやり取りだけで構成されている「会話劇」だ。(なお本作は2012年、2014年に企画された朗読劇「不帰の初恋、海老名SA」「カラシニコフ不倫海峡」が元になっている)

初恋を巡る男女の物語は、時間軸を飛び越え、第三者も巻き込みながら意外な方向へと旋回する。「あなたにとって生きるとは何か?」「死よりも生かす理由は何か?」という問いを背景に置きつつ、火花のようなエネルギーがパラパラと発せられている。偶発的に相互作用し暴発していく怖さが恐ろしいほどに淡々と描かれている。

「不帰の初恋、海老名SA」は次の会話から始まる。

玉埜広志(たまのひろし)
玉埜です。返事くださいと書いてあったので返事書きます。
迷惑です。僕と君はただ同じクラスだというだけです。話したこともないし、君のことをなんにも知りません。君も僕のことをなんにも知りません。君は傲慢な人なのだと思います。僕の力になりたいなんて提案はすごくくだらない。偽善です。偽善が何かわかりますか。わからなかったら辞書で調べてください。
これからもクラスで他の人たちと同じように、僕はいないものにしてください。よろしくお願いします。

三崎明希(みさきあき)
三崎です。お返事ありがとう。よろしくお願いしますの使い方が面白かったです。
さて、わたしは浜松のお婆ちゃんと一緒に住んでいたことがあって、その頃よく言われました。明希はお爺ちゃんに似てる。頑固で偏屈だ。頑固で偏屈なのです。
玉埜くん、君はわたしが君のことなんにも知らないと書いていたけれど、そうとも言えません。君、前に図書室で分厚いホロコーストの本を借りたでしょ。わたしもそのあと借りてます。ご存じですか。図書カードを見たら学校設立以来この三十二年間であの本を借りたのはわたしと玉埜くんだけです。あと、春マラソンの時さぼって、高架下のところでコアラのマーチ食べてたでしょ。わたし、玉埜くんのことなんにも知らないわけじゃないし、今よりも知りたいと思っています。
偽善ですか。そうなのかもしれません。でもわたし、玉埜くんとあのおそろしくて残酷なホロコーストについて話し合いたいの。コアラのマーチを食べながらの感じで話し合いたいの。
放課後、ショッピングセンタームラハマの屋上で待ってます。
(坂元裕二『往復書簡 初恋と不倫』P7〜8より引用)

何かが起こる予感がひしひし伝わってくる。

手紙、図書カード、ホロコースト、コアラのマーチ、ショッピングセンタームラハマ。

心に闇を抱えた男女が、不器用ながら本音を曝け出し、ちょっとずつ交わっていく物語だ。「透明なままで良い」と諦観していた玉埜が、三崎の頑固で偏屈な姿勢に少しずつ惹かれ、時を経て相互に導き合っていく展開は、読んでいてハラハラした。(着地としての海老名SAの存在感よ)

繰り返しになるが、これらは全て「会話」だけで成立しているのだ。読者の想像力を過信しているのでは?と懸念しそうになるけれど、自身の編む物語に自信があるということなのだろう。

*

考えてみれば当たり前のことだけど、僕たちの生活に「地の文」は存在しない。

脳内で思考していることや、周囲の状況が、地の文という形で“勝手に”表出されているだけで。僕たちは家族、友人、恋人、同僚、クラスメートなどと会話をし、それが固有の物語にコンバートされていくのが現実だ。

とは言え、“生身の”人間の会話には「間」があるし、声質の変化で感情の機微を穿つことができる。テキストという形状で、実際の会話のウェット感を出すのは容易なことではない。

坂元裕二さんの小説は、あるいは脚本は、おそらく“生身の”人間の会話よりも会話らしいのかもしれない。

“生身の”僕たちは、無意識のうちに言葉を削ぎ落としてしまっている。絵文字やスタンプで「何となく」のニュアンスを伝えるだけになってしまっている。日々に忙殺されていくうちに言葉すら交わせないほど疲弊している人だっているかもしれない。

“生身の”人間の会話よりも会話らしい。

ドラマとは、立ち上がるべくして立ち上がっているのだ。

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*おまけ*

坂元裕二『往復書簡 初恋と不倫』ですが、読書ラジオ「本屋になれなかった僕が」で配信しています。ざっくりとした感想で恐縮ですが、お時間あれば聴いてみてください。

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