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排除の行方(映画「マイスモールランド」を観て、考えたこと)

昨年のちょうど今頃、映画「マイスモールランド」を観た。

僕が2022年8月15日に映画テキストサイト「osanai」をローンチしたのは、映画「カモン カモン」「パリ13区」を観たのがきっかけだ。

だが今振り返ると、「マイスモールランド」という映画を鑑賞したのは、僕の生き方にとって大きな分岐点になったように思う。それは大袈裟でない。どんな生き方を志向するか、改めて確認できたのだ。

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村上春樹さんが2009年2月にイスラエルの文学賞「エルサレム賞」を受賞した。そのときのスピーチで、とても有名な一節がある。

もしここに硬い大きな壁があり、そこにぶつかって割れる卵があったとしたら、私は常に卵の側に立ちます。そう、どれほど壁が正しく、卵が間違っていたとしても、それでもなお私は卵の側に立ちます。

軍による抑圧は「壁」であり、非武装の国民が「卵」だ。そのメタファーとして「壁と卵」が披露されたわけだが、これは「2009年のエルサレム市」を飛び越えて、今なお多くの「卵」側に立つ人たちを勇気づけている。(残念ながら、その多くはシステムに太刀打ちできず、もがくことになるのだが)

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「マイスモールランド」は、埼玉県川口市に住むクルド人の家族が、難民申請が受理されなかったことで、理不尽なまでに人生が狂ってしまう様子を描いている。

幼い頃から日本で育った主人公のサーリャ(演・嵐莉菜)は、日本語を習得、成績も優秀で、推薦での大学進学をほぼ確実にしていた。彼女の夢は、小学校の先生。自身が小学校のときにいじめに遭ったが、それを助けてくれた先生に憧れたのだ。「大学で勉強して、小学校の先生になりたい」。家計はそれほど豊かでなく、高校在学中からアルバイトに励む日々。それでもコツコツと入学金と授業料を貯め、夢まで後少しというところまできていた。

そこにきて、難民申請の不受理だ。一家は在留資格を失う。彼らは一時的に国内で生活することが認められる「仮放免」の許可がおりるのだが、それは地獄とさほど変わりはない。映画で描かれた「仮放免」の暮らしは次のような感じだ。

・就労が認められなくなる(=働けず、収入源を失う)
・違反すると仮放免が取り消され、入管に収容される(映画では父が生活のために隠れて就労、違反が見つかり、家族と離れ離れになり入管に収容されてしまった)
・健康保険の加入ができなくなる。病院での治療費が高額となり、病気になっても通院できなくなる
・県外への移動ができなくなる

「人権」とは何だろうか。

難民申請が認定率が1%を切る日本。100人にひとりさえ、難民だと認められない。それを「不法だから仕方がない」と、まるで極悪人として扱うような言い分を唱えることに、どんな理があるのだろうか。

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もともと僕はリベラルを志向していた人間だ。そして改めて僕は、「卵の側に立つ」ことを誓った。

壁(=システム)は圧倒的に強い。

統一教会や主要大臣の不祥事などが続いていたにも関わらず、先日行なわれた統一地方選挙では、自民党はほぼ盤石な状態をキープしている。

そして自民党は、公明党、日本維新の会、国民民主党と合意形成し、人権をないがしろにした入管法改正法案を突き通そうとしているのだ。

「マイスモールランド」で描かれている現実が、何ひとつ良い方向に改善されていない。僕は、日本とは世界に誇れる国だと信じてきたし、信じている。だけど、この法案が通ってしまったら、その信念はさすがに揺らいでしまいそうだ。

「マイスモールランド」はオープンエンディングで閉じられている。この映画に限らず、難民や移民を扱った映画の多くは、オープンエンディングかバッドエンドを迎えることが多い。難民問題はあまりに課題が山積しており、どんなフィルムメーカーもハッピーエンドにできないテーマなのだ

実際のところ、難民問題がはらんでいる諸問題は、複雑ですぐに解決できるような類のものではない。ただ、だからといって「このままでいい」わけがないのだ。

サーリャのような子どもたちが、当たり前のように、ふつうの日常生活を送れますように。「卵」のような苦しい立場に寄り添える人が、もっと増えてほしいと切に願っている。

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ほりそう / 堀 聡太
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