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一気読みしてしまった感覚を。(新庄耕「地面師たち」を読んで)

Netflixで話題の「地面師たち」。

とても面白かったので、新庄耕さんの原作も読んでみた。

こちらの番組PR動画で、大根仁さんは「自分が一気読みした感覚を、ドラマでも表現したかった」と語っている。なるほど原作もスピード感に溢れ、騙す人/騙される人の攻防が切迫感をもって描かれている。

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原作のあるドラマ化は、多かれ少なかれ双方の作品には違いが生じるものだ。その違いがどれくらいあるのか、その違いが原作ファンにとって、あるいは新規ファンにとって楽しめるものであるかは、やはり映画監督の腕の見せどころだ。

2024年公開の映画だと、瀬尾まいこ原作の「夜明けのすべて」は、原作をかなり拡大解釈しつつ、主人公ふたりの“その後”まで描いてみせた。逆に人気マンガ『ゴールデンカムイ』の実写映画は、マンガの世界観を忠実に守り、映像の美しさや戦闘シーンの迫力が観る者の喝采を浴びた。

では、Netflix「地面師たち」はどうだったかというと、かなり大根仁監督の解釈によって、人物描写やストーリーに変化が加えられている。主人公の拓海や刑事の辰、ハッカーの長井あたりは、別人といっても過言ではない。ドラマでは超人かつ変人ぶりを見せつけたハリソン山中は、原作ではちょっとまともというか、ある意味で「ああ、こういうやべえ奴、どこかにいそう」くらいのレベル感で抑制されている。

原作だとリアリティが、ドラマではエンタメ感が重視されているということか。

村上春樹さんは、「自分の小説が映画化は、別の作品として捉えている」と語っている。自分の手を離れて、全く新しいものと見做しているのだろう。こだわりを持ってひとつの作品に携わった作家としての矜持、覚悟の裏返しともいえるだろう。Netflix「地面師たち」もまた、小説のリアリティに脚色を加えたことによって、全く新しいスリルを装着したという位置付けになっている。

ただ、物語の本質は変わらない。
大根監督が意識した「一気読みしてしまった感覚」も同様だ。

小説のリアリティは、どこか人間臭さを伴うものだ。それは小説にとって揺るがせにできない要素だったはずだが、ドラマでは拓海以外では人間臭さが抑制されている。(でも、ちょっとだけ誰もが人間臭さを伴っているのも面白い)

時間に追われる現代において、原作とドラマの違いを意識しつつ作品をレビューするのは、とても贅沢な行為である。ドラマを観て、原作を読んで、再び私はドラマの沼へと堕ちていくのだろうか。

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おそらくNetflix配信に合わせて、続編となる『地面師たち ファイナル・ベッツ』も2024年7月26日に集英社から刊行されている。

ドラマのスマッシュヒットで続編化が求められている中、「先に原作を読むか」「(まだ何の発表もされていない)ドラマ化を待つか」はなかなか悩ましいもの。

といいつつ今は、ハリソン山中の「その後」を観たい気持ちが高まりつつあるのが正直なところです。

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