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湘南戦の意味 〜「誤審」を越えて〜

浦和レッズサポーターのほりけんです。今回は「世紀の大誤審」が起こってしまった湘南戦を振り返ります。紙幅の多くはその誤審に割いていますが、湘南戦そのものも、監督交代を経てもなお、振り返る価値のある一戦だと思っています。また、前回に続き、旅要素が全くないのですが、OWL magazineに寄稿させてもらうようになって、「サポーター」が「ライター」になって気がついたことも綴っています。「アディショナルタイム」では、欧州トップリーグ初の女性レフェリー、そして女子ワールドカップについて書きました。

2019年5月18日。思い出深い日だ。

この日初めて、OWL magazineに寄稿し、サッカーライターとしてデビューした。その直前にはJ1第12節の湘南戦があった。スタジアム(この日は南ゴール裏)で観ていたが、例の「世紀の大誤審」を目撃し、ラストプレーでの失点により敗北した。

記念すべき初投稿をSNSで宣伝するための文言は準備していた。しかし、自身の気分を反映して書き直す。キーワードは「次だ、次。」。実際に現地で、挨拶に来た選手たちに叫んだ言葉だ。

松本遠征の記事を告知をしたところ、案の定、仲の良い友人たちから「湘南戦について書いて」と言われる。どうしたものか。もちろん冗談半分なのはわかっているので、一瞬スルーしようかとも思った。OWL magazineは「旅」がコンセプトだし、どう考えても飛んで火に入る夏の虫。炎上する未来が容易に見える。

しかし、公開するかは別として、とりあえず自分の思いや考えを文字にしてみた。すると、思った以上に心が整った。これなら公開できる。

大胆なターンオーバーと闘う姿勢

湘南戦、浦和レッズはACL北京戦を見据えてターンオーバーを敢行。主力を重用するオリヴェイラ監督にしては珍しいことで、思い切ったなと感じた。

戦い方も「湘南スタイル」と真正面から殴り合うことを選択した。実際、選手たちは良くやったし、少なくとも前半は殴り勝った。アンドリューもマルティノスも、柴戸も荻原も、誰もが走り、闘っていた。

スピードのあるアンドリューとマルティノスの2トップは面白かった。アンドリューの得点(浦和で初!)の際、マルティノスは、安易に外に展開せず、最も危険な中央にラストパスを通せるタイミングを待った。パスを受けたアンドリューは、体を開いて相手GKにシュートコースを絞らせなかった。前へ!という強い意思を感じた

鈴木大輔の知性の溢れるプレーも見ていて楽しい(ポジショニング、攻撃参加など)。この日は左CBを務めていたが、右サイドからのクロスに飛び込んだシーンなど、もし決まっていたらしばらく話題になっただろう。

「世紀の大誤審」を目撃して

しかし、前半31分の「誤審」と、その後のカウンター時に相手GKと接触して負傷したアンドリューの交代を境に、徐々に流れが変わる。前半を2-0で折り返しながら、ラストプレーで決勝点を決められ、2-3。痛恨の逆転負け。

家に帰り、記事のアップ作業を行いながら、言葉にしてみる。

曺貴裁監督の会見、バランス取れた良い発言だったと思う。僕は、誤審があったからといってわざと相手に点を取らせるべきだとは考えないが、そういう風に考える人がいることは十分理解する。そして曺監督がそういう人物であろうということも想像に難くないし、それは尊重する。

浦和目線で一言だけ言えば、誤審がなければ、アンドリューが怪我したプレーも生まれなかった。現地にいたが、正直1点返されるよりもアンドリューが交代する方が嫌だった。審判もサッカーファミリーだという大前提を忘れずに議論しなければならないが、オリヴェイラが指摘しているように、本来起きなかったはずのプレーで、うちの選手が負傷したことにも留意してほしい。

ここまでが試合当日に書いたことだ。このままSNSに投げてしまおうかとも思ったが、なんとなくしっくり来ず、下書きを保存してPCを閉じた。

「誤審」をめぐる言論空間

当然のことながら、事後には議論が巻き起こった。サッカーメディアやスポーツ紙に加えて、一般紙も報じた。SNS上では、両チームのサポーターはもちろんこと、現役選手や元選手も含めて、様々な声が上がった。

いくつか興味深い意見もあったが、正直なところ、なかなかもやもやが晴れない。なぜか。

第一に、そこに当事者である審判の姿がないのだ。我々は、判断を下した審判の声という、最も重要な1次情報が欠けた言論空間にいた。問題のシーンの映像と、他の当事者である両クラブの監督や選手のコメントを中心に議論しており、あのとき何が起こったのか、情報が不足していた。

第二に、言論空間の攻撃性への違和感。あれだけの出来事だったので、色々な感情が生まれることは十ニ分にわかる。しかしそれにしても、強い言葉が多すぎやしないだろうか。悪貨は良貨を駆逐するではないが、あの空間では、なかなか建設的な議論は生まれないのではないかと感じた。

ただし、この傾向は「Jリーグジャッジリプレイ」(以下JJRと記載)が公開されると変容した。DAZNでは火曜日、Youtubeでは金曜日の公開だが、これが出てきてからは、そこで語られた内容を、多くの場合は断片的に切り出して、論じられるようになった。今回は当該審判団の処分が公表されたこともあり、そちらへの言及も見られた。

「誤審」の検証 〜原因の遠近〜

失敗から教訓を導き出すには検証が必要だ。起こった出来事を丁寧に、詳細に記録する。多角的な視点で検討を加えて因果関係を明らかにする。失敗の背後にある構造的な要因を炙り出す。そうしないと本質的な改善は望めないし、中途半端な検証では誤った教訓を導くことすらある。そして誤った教訓は誤った対策を生む。

責任追及と原因究明は似て非なるものだ。今回の場合、責任は明らかであり、既に当該審判に対しては処分があった(その軽重の議論にはあまり興味がないのでここでは触れない)。

一方、原因究明は、あくまでも教訓を導き出すためにやるものだ。そしてそのためには当事者である審判の協力は絶対的に必要である。そのプロセスの中では彼らを適切に守らなければならないし、審判けしからんではなくて、より良いレフェリング、ひいてはより良いサッカーにしていくためにはどうすれば良いか、と考える姿勢が大切だろう。

また、こういう大きな失敗が生じるとき、原因がひとつであることは稀だ。大抵は複数の原因があり、そして相互に関係している。どれか1つを切り出して「原因はこれだ」と言い切ることはできない

さらに、原因には遠近がある。近因はより直接的な要因で、今回で言えば例えば以下が該当するだろう。一方の遠因は間接的・構造的な要因だ。例えば、清水さんが指摘していたエンパシー(共感)は遠因のひとつだろう。

【近因の例】
●ゴールの瞬間は主審から死角になっていた
●ボールに強烈に回転がかかっており予想外のバウンドをした
●副審はそれを見てポストに当たって跳ね返ったと判断した、など

教訓と対策

様々な原因の距離感を把握することは、教訓の抽出や一般化においても、対策の検討や選択においても、重要だ。

近因は比較的わかりやすく、特定が容易だ。即効性の高い教訓と対策を導きやすいが、近因のみに焦点を当てると場当たり的になり得る。
(例:主審から死角になっていた→死角にならない位置に審判をおく)

一方、遠因を把握するには洞察が必要だ。より本質的・根源的な課題を特定することに繋がる可能性があるが、遠因のみを踏まえて対策を考えると、具体性に欠け、見当違いなものになるおそれもある。
(例:エンパシーが欠けていた→エンパシーに基づいて判断すれば良い)

検証する過程で、理論的にあり得る対策の選択肢は見えてくるが、実際の対策を決定するにあたっては、規制やコストも含めて、実現可能性の検討が必要となる。

例えば、昨今話題になっているビデオ・アシスタント・レフェリー(VAR)も、導入にあたっては国際サッカー評議会(IFAB)が定めた厳格な哲学や原則がある。これに照らすと岩政さんが提起されていたVARの限定的な適用というアイデアは実現が出来ない(個人的に非常に面白いと思ったが)。

論点① 正しいジャッジはできなかったのか?

これらを踏まえて、これまでわかっている範囲で検証を試みる。第1の論点は(当然ながら)「正しいジャッジはできなかったのか?」という点だ。

今回起こった出来事の認定に関しては、JJRでの上川さんの説明に違和感はない。映像でも確認していたように、主審は、右のポストに当たったところは見えていたようだが、ゴールに入った(左のネットに当たった)瞬間は選手がブラインドになって、目視は難しかったようだ。Twitter上で、状況を3Dに起こしてくれた方がいるので、あわせてご覧いただきたい。

主審が自分自身で判断できないとなると、副審のサポートが必要になる。今回はメインスタンド側の副審(第2副審)が主たる任を担った。その第2副審は、ゴール方向に飛んだボールが跳ね返ってきたことから、ポストに当たったと判断し、ノーゴールだと主審に伝えたとのことだ。

これについては、JJR司会の桑原さんが「副審とゴールの間に障害となるものがなかった」と繰り返し指摘されたように、兎にも角にも見極めの質を高めてもらうしかない。しかし同時に、あの角度でボールが跳ね返ってきた場合、自分が見たものを信じられるか(自分が見間違えたと思わないか)、という点は少し考えてみても良いように感じる。

この副審の判断について、JJRで原さんが「思い込みで判断したのが間違い」と指摘していたのにはやや気になった。なぜなら、「思い込み」や「推測」は、知識と経験に基づく(好)判断と紙一重だと思うからだ。

ゴールという○か×かが客観的に明らかなシーンでは、「推測」が入る余地はない。しかし、サッカーは曖昧な状況も多々あり、レフェリーにとって、視覚による状況の見極めを、知識や経験で補完するシチュエーションもあるのではないかと思われる。

そうだとすると「思い込み(推測)で判断しない」という教訓は、今回については正しいものの、レフェリング全般に普遍的に通じる教訓ではないように感じる。この教訓を一般化するのであれば、上川さんが指摘しているように、今回のような事象が起こり得るという引き出しを増やすことによって、推測の精度を上げていく、という方が適切に思える。
(この点は自信がないので、専門家のコメントが貰えたら幸いだ。)

また、ゴール(或いはラインまわり)だけが明らかに性質が異なるので、そこは特殊なものとしたまま、審判が「推測」に頼らずに済むように、状況の見極めを支援するようなアプローチを考えるべきだろう。その意味で、追加副審というのは、少なくとも短期的には、正しい一手だと思う。
(個人的には客観性の観点からゴールラインテクノロジーが良いと思うが、原さん曰く、FIFA の規定だとVARと同じくらいコストがかかるとのこと。)

論点② 判断を変えることはできなかったのか?

次の論点は、仮に正しいジャッジが出来なかったとして、その判断を変えることはできなかったのか?という点。今回のJJRで学んだことのひとつは、「ドロップボールで再開するまでであれば判断を変えられた」という規則上の話。一度判断を下したら変えられないと思っていたので勉強になった。

プレーを再開した後、主審が前半または後半(延長戦を含む)終了の合図をして競技のフィールドを離れた後、または、試合を終結させた後は、主審がその直前の決定が正しくないことに気づいても、または、その他の審判員の助言を受けたとしても決定を変えることができない
競技規則第5条2「主審の決定」より抜粋)

よく議論になるVARについても、一面的には、主審が下した判断について、映像の見直しというステップを踏んで、判断を変える(あらためて判断を下す)機会を与えるもの、と捉えることもできる。

ただ、現時点ではVARはないし、いくら両チームの選手やスタッフの反応が「普通じゃない」(原さん)としても、上川さんが指摘するように、審判としてはそれを理由に判断を覆すことはできない。

唯一判断を変えるチャンス、理由が見つけられたとしたら、審判団内でのコミュニケーションだろう(エンパシーもおそらくこの文脈で意味がある)。この点についての僕の見解は、石井紘人さんの解説(有料記事)に120%依拠しているので詳細は割愛する。ぜひ原文を読んでいただきたい。

Jリーグジャッジリプレイの魅力とその功罪

Jリーグジャッジリプレイ。すごい番組だ。審判委員会やJリーグの幹部がタイムリーにジャッジを語るなんて、とても恵まれている。僕も大好きで、これのおかげで自分の見識も格段に上げてもらった。原さんや上川さんのチャレンジする姿勢は素晴らしい。(個人的にはレイさんの解説も好き)

Jリーグジャッジリプレイの価値は大きく2つあると思う。ひとつは、当事者の声が、解釈を伴った形で得られること。当事者の声は1次情報として重要だが、教訓に昇華するには解釈が必要となる。そしてそれはきちんとした知識をもって行わないと、ただの個人批判に成り下がる危険がある。

もうひとつは、日本サッカー協会(審判委員会)やJリーグが考えていることを知ることができること。事象の解釈や教訓の導出のみならず、対策の方向性を先取りできることは、組織やプロセスの透明性の観点からも高く評価できる。

この2つに加えて、気づきにくい論点を指摘してくれることも重要だろう。今回で言えば、審判員の評価や処分後の復帰プロセスなどだ。また平畠さんの「基本的に選手のためとかお客さんのためという話になるけど、審判を守るという部分でも」「VAR入れた方がいいんかな」という発言にはハッとさせられた(桑原さんの食い気味の「ほんとそうですよ」という相槌も)。

番組内で特徴的な役割を果たしているのが原さんだ。桑原さん(司会)、上川さん(審判)、平畠さん(ファン・サポーター,肩書はJリーグウォッチャー)が、それぞれにひとつの中心的な役割があるのに対して、原さんは、半ば意図的に、Jリーグの代表者としての立場と、選手や監督の代弁者的な役回りを使い分けているように思う。いわば可変システムだ。

もちろん、選手や監督が出演することには無理があるので、両者の経験を持つ原さんが一人二役をこなすのは悪いことではない。Jリーグ副理事長という要職にある方が、あれだけフランクに話すことによって、番組の雰囲気も良くなっていると思うし、JJRの魅力のひとつになっていると思う。

ただ、今回は若干それが悪い方向に出たのではないかと感じた。どちらの立場で発言しているのかが曖昧で、前述の「思い込み」然り、言葉の選択に引っかかる瞬間があった。また今回のようなシビアな案件の場合、具体的な対策も重要な論点だが、そうなると原さんも現実的な話をせざるを得ず、ジャッジそのものを議論しているときからは大幅にトーンが変わった。

また対話の矢印が上川さん一人に向きがちなところも気になった。どうしても出演者の問いかけに上川さんが答えていくような流れになりがちだが、ここでもう一人、十分な知識を持って、本質的な問いかけや考察ができる第三者がいたら、より議論が立体的になるだろう。プレッシャーがかかる(厳しい議論になる)ときほど、パスコース(解説者)を複数作りたい。

レフェリング界の「戸田和幸」は誰なのか

近年、戸田和幸さんの登場により、サッカー解説の環境は大きく変わったように思う。ファン・サポーターはその恩恵を受けていると思うし、かくいう僕もそうだ。「解説者の流儀」は発売日に読み、出版記念イベントにも参加させてもらった。

その帯にある。「難解だからこそ、すべての人のために言語化する」。サッカーは難解だ。ハイライトやゴールシーンだけを見ていてサッカーがわかることは、絶対にない。

「誤審」も同じではないか。「誰が見てもゴール」なのはわかる。しかし、なぜ誤審が起きたのかを理解するのはそう簡単ではない

一連の展開がどうだったのか。主審はどこに立ち、どんな点に注意を払い、何が見えていたのか。副審は何を気をつけていたのか。レフェリーチームのコミュニケーションはどうだったのか。

これらを(完全ではなくとも)論理的に分析してくれるのは誰なのか。当事者や関係者以外に、語れる解説者はいないのか。

世の中、専門家と見られる人々が、実は自分の細かい専門分野以外では素人というのはよくある話だ。サッカーのプレーや指導に長けている人が、同じようにレフェリングに通じているとは限らない。審判問題は、教育問題などと同じで、誰もが評論家になれる(例えば僕のように)。

ひとりのサポーターとして僕が一番知りたいのは、レフェリング界の「戸田和幸」は誰なのか、ということだ。

知る限りでは石井紘人さんはその1人。面識は全くないが、以前からFootball Referee Journal(FBRJ)を購読している。石井さんの批評や審判員へのインタビューはとても学びが多い。(タグマのサッカーパックに入っている方には是非おすすめ。ドキュメントDVD「審判」も見るのが楽しみだ。)

群盲象を評す ~審判クラスタはあるのか?~

ただ、もしかしたらひとりの解説者、専門家だけでは無理なのかもしれないとも思う。今回石井さんはJJRを見てから記事を公開された(と思う)。上川さんの説明をさらに紐解かれていて、そのおかげで理解・学びが一段と深まった。

しかし、試合当日からJJRが公開されるまでにはタイムラグがあり、言論はそこが一番白熱する。そのタイミングでより解説的な話を聞きたいが、1次情報(審判の声)が出ていないので、間違ったことを言うリスクは残る。

どうすれば良いのか。ひとつの可能性は、ロシアW杯のドイツ対メキシコ戦のような集合知かもしれない。例えば既に紹介したように、今回は日曜日に当該場面の立ち位置を3Dに起こしたものが流れていた。とても興味深い。

もちろんそれだけでは全体は掴めないが、「群盲象を評す」。ひとりひとりは完全でなくても良いので、発信のハードルは下がる。戦術クラスタならぬ審判クラスタがあるならば、その集合知の到達点にはとても興味がある

湘南戦の意味 〜「誤審」を越えて〜

予想以上に長文になった。知識がないくせに何を偉そうに、と感じた読者もいたことだろう。その批判は甘んじて受ける。しかし僕はサポーターだ。漫画ジャイアントキリングで達海猛も言っているように、「好き勝手言う」権利がある。

「好き勝手言ってこそのサポーターでしょ」
「それはこいつらの立派な権利だ」
ジャイアントキリング第25巻

ただし、僕は好き勝手に「何を」「どう」言うかが大事だと思っている。湘南戦の夜に発信をしていたら、それはただの「サポーター」のつぶやき(ぼやき)だっただろう。断片的で、ほとんど意味をなさない。

今回「ライター」として腰を据えて言葉にしていくことで、「誤審」について本当に知りたいことは何なのかがはっきりした。自分なりに、問題の構造などのメタなレベルでの分析もできた。次に誤審があったらまずはこの記事に立ち返って、論点を整理できる。読者がどう評価するかはわからないが、僕にとってはとても意味のあることだ。ライターになって良かったと思う。

* * * * *

翻って、浦和レッズにとって、湘南戦の意味は何か。その答えはACL北京国安戦にあった。

北京戦に向けた記事の中でこんなことを書いた。太字の部分が湘南戦後に書き足したものだ。

勝負強いオリヴェイラの手腕は「オズの魔法」とも称される。魔法の源泉はコンディショニング、そしてモチベーションだ。金曜日に行われた湘南戦では、オリヴェイラには珍しく、ターンオーバーと言って良いほどの選手の入れ替えを敢行した。アジアへの覚悟を垣間見た。

北京戦の先発が予想される選手たちのコンディションは上がっただろう。しかし何よりも重要なことは、湘南戦、代わって出場した選手たちが、90分間、相手の土俵で真っ向勝負をして、走り、戦ったことだ。あれを見て、この試合ベンチ外だった選手たちは何を感じただろうか。

もちろん結果が全て。そんなことはわかっている。それでもなお、あの敗戦を少しでも価値のあるものに出来るとすればそれは、北京戦で、戦って、結果で示すしかない。

(ほりけん「"レッズ"を支えるもの 〜アンフィールドの奇跡、アジアへの思い〜」より抜粋)

実際にはどうだったか。キャプテンの柏木陽介をはじめ多くの選手が言及していたように、闘う姿勢、そして結果で示してくれたと思う。

北京戦は間違いなく今季のベストゲームだった。その1つ前の試合が曺監督率いる湘南ベルマーレだったことの意味は大きかったと思う。何より、あの敗戦を意味のあるものにしてくれたチームには、感謝と称賛を贈りたい。

ほりけん's ハイライト:ACL北京国安戦
●試合前にACL登録外のマルティノスがツイート。チームのメンタル面は相当に良さそうだ。
●平日アウェイにも関わらず、北京サポも相当来ていた。姿勢も流石。
●浦和ボールのキックオフだったが、北京がコイントスでサイドを変えた(前半は浦和サポを背にする)。相手、ビビってるぞ。
●キャプテンマークを3人の選手で引き継ぐ。アクシデントのためチームキャプテンの柏木が早々に交代し、試合の大半は興梠。前線からの守備も含めて走りまくっていた。そして最後は槙野。守備に徹し、勝ちを確実にした。
●マン・オブ・ザ・マッチは背番号7長澤和樹。強さと推進力を存分に発揮。「このスタジアムには不思議な力がある」という言葉も嬉しかった。
北京戦後、浦和レッズは、サンフレッチェ広島を相手に、ホームで0-4の大敗を喫し(J1第11節)、オリヴェイラ監督が解任された。チーム状態はなかなか上がってこないが、湘南戦や北京戦を糧にして、大槻監督の下、一丸となって闘おう。

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