願望は最終目的じゃなく
なるだけ人へ公平な態度でいたい
それを悪く言われるなら仕方ない
方向性の違いだと思っている
庭や道路の掃き掃除をしていると
ご近所さんが入院した話を聞く
すぐさま母へ伝え、お見舞いを持って行ってくれる
うちは、祖父母や両親、弟の入院で
ご近所さんからお見舞いを戴いた
近所付き合いは、相互扶助でもあるので
助けてもらったら、こちらも助ける
入退院が多い家には
1回、お見舞いをしたらお終い
うちが負担だったので、母はそうしている
何の病気か興味がないので、そこはうわの空
手助けしてくれる人が優しい
放っといてくれる人が優しい
人の数だけ様々、本当に十人十色
他人を知る大切さはここにある
わたしは沢山、失敗している
本音は
皆を公平に、皆へ優しくは目標にしていない
ただ
公平にしていれば、優しいのであれば
少なくとも諍いの喧騒にいるより
心穏やかに過ごせる母数が多いと知っているから
わたしの寿命はどれだけあるのか分からないが
四六時中、死ぬまで周りを公平に優しく生きるのは困難だと自覚している
わたしには、できない方が圧倒数で
1ミリも良い顔すらできないシーンもある
よって
人から恨まれたり、憎まれたりもあり
八方美人だとか、無慈悲だとか批難されても
「やかましい」
「自分ができない事をわたしに押し付けるな」
心が底冷えしてひび割れていく
しかし、見計らったように
凍った気持ちへマフラーを巻いてくれる人がいて
公平でありたいのは、ただの願望で
最終目的にしないのは
日本へ生まれただけで恵まれているのに
よその不公平が当たり前の人達へ均等な優しさを
配れず、その罪悪感からわたしは苦しむ
周りの環境は常に変化している
なので状況に応じて公平の基準を加減しながら
対応も変容していく (備忘録)