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分かってる?読解力のない人

同じ文書を読んでいるのに、他人と見解が異なる
「どこに書いてあったかな…」再読する
わたしの手元にある書面は人と違うのかな

行間を読むって、文字通りに書いてある以外に
個人の解釈が伴うので
誤解が生じ、書き手のせいにされる

もちろん書き手は、主語や述語、目的語などを
明確にした文章(文書)を書く能力が求められるが
どんなに易しい短文でさえ
読み手の主観ありき、先入観などが
読まなくていい行間を作り出している

読解力、なんていうから
文字通り書いてある、そのままを受容せず
文章の裏にある思惑を読もうとする

書き手の意図しない方向へ流れてしまい
書き手へ「伝え方が悪い」と責任を取らされる

あるデータだと
書いてある内容を、正確に理解できる人は少なく
書いてあることを、そのまま読まないのが原因で
書き手が伝えたいことが伝わらない

書いてあることを書いてないように読み散らかし
解釈していくなんて
ある意味、野蛮だとわたしは感じる
曲解は、読み手の暴力なんですって

文章(文書)をそのまま文字だけ追う訓練をして
それから
自分は書く練習をするのが良いのかもしれないと わたし自身に戒めるときがある

文章(文書)を読解するとは
読む間だけは無感情で、自分の主観を入れず
AIになったつもり、無心で目を通す
書かれてあるままを読むこと

例えば、わたしが書いたこの記事も
書かれた通りに読めば
わたしの言いたいことは半分以上伝わるはず

読解力には、誰が書いたか
書き手の人物への好き嫌いや善悪など
一旦は捨ててね

主観ありきの憶測なんてするから読み損なう

読解力とは 
客観的に書かれてあることを俯瞰する能力のこと
行間なんてのに注視する必要はないんだよ

客観性がないので
全く書いてないことへ妄想を拗らせ
やれ、自分に好意があるのでは
やれ、自分の悪口が書かれただの
やれ、書き手に不快なことを言ってもいい
不要な争いが勃発するんだって

人様のコメント欄を汚すんじゃないの!

分かってる?読解力のない人
オブラートに包まず、ストレートに書いてみた