「寛容は時に見下される」のさ〜
以前、レオ氏が頭髪が薄くなったと気にして
理由が「わたしに嫌われる」
どれだけ見くびられたか、怒りしかない
「気になるなら、坊主にしたらいいじゃん」
夢みる多様性の社会になるには
わたし達、中年世代が絶滅して多様性が実現する
わたし達世代は団塊世代により、心が汚れている
団塊世代はその上の世代に汚染されてのループ
そして
わたし達世代の成した子達がルッキズムを継承し
「こりゃ、難しいな」
男性への、容姿蔑視が蔓延っている
まだ消えないと感じる
公人が女性容姿蔑視を発言すると
明日のニュースになるだろう
男性への容姿蔑視は、なぜ社会問題にならないのか
容姿だけではない
人間力も男性への負荷が大きい
どこが多様性の社会だよ
ネットで匿名ながら
自分が受けた痛みを表に出せる時流になり
泣き寝入りが半減されたとしても
社会が変化し『弱者』に寄り添えという主張は
聞き入れられるはずもない
「悔しけりゃ、自分が這い上がって来い」
結局は、ルッキズムも何もかも
自助努力を求められ、多様性は綺麗事となる
なので、自分を持つ人が強いのは
自分の物差しを他者に渡さないことにあり
物差しを奪おうとする他者より賢いところにある
冒頭に戻り
容姿も能力も比較的寛容なわたしは
他罰的な女性よりモテないのはどうしてか
「寛容は時に見下される」
結局
蔑視や差別は、人を大成させる起爆剤なんだって
心弱い人を淘汰するにはちょうど良い