幸せは、案外転がっている
「アタシが帰る日
冬瓜のスープと炊き込みご飯が食べたい」
前々から幼なじみに言われていた通り
広島最終日は、冬瓜でもてなした
スープや炊き込みご飯以外に
秋ナスのマリネ、ニンジンと葉のきんぴら
かぼちゃのコロッケなど、地産地消の野菜を使い
月曜からまた、都内で仕事する彼女をもてなす
飛行機の搭乗手続きから時間を逆算し
朝から下ごしらえなどをして
夕方、彼女がうちへ訪れるのを待っていた
「お邪魔します」と、やって来た彼女は
幸せ連呼し、東京へ戻って行った
幸せは心の中にあるだけ
だから、幸せの基準を下げれば
一瞬で他人と同じ幸せを得られると思っていた
しかし、幸せは相対的なものではなく
あくまでも、自分自身で感じるもの
チルチル・ミチル兄妹が出てくる『青い鳥』
物語は、幸せは近くにあっても
幸せを認識するためには、色々なものを見聞きして
経験して得るものだ
…たしか、そんな人生訓だった気がする
彼女が満足する顔を見ながら
幸せはどこにでも転がっていると感じた
「おいち〜」と言ってくれる表情で安心して
「余り物で良ければ、コロッケ持っていく?」
訊けば「まじで?ありがと!」
「ももに頼んでよかった〜」は
前に、彼女がわたしへ言ってくれたセリフだ
幸せは、案外あちこちにあり
それに気づく人と気づかない人がいて
更に気づいても
幸せと、感じられる人と感じない人がいる
彼女のように周囲を自分の幸せに
巻き込む人がいて、そんな人になりたい
贅沢をいえば、巻き込んだ周囲を組織にすれば
幸せは、より強く継続力が増すだろう
わたしはなかなか気づかない人間で
毎日、不平不満ばっかり垂れているけども