聖なるウソは日常にある
「本当のことは言わなくていい
でも、俺に嘘は言うなよ」
これは、レオ氏と付き合い始めに交わした約束
互いの“経験数”を「せーの」で言い
わたしが不貞腐れて、ケンカになった
レオ氏の過去が変えられる訳ではない
しかし、嫉妬で口を利かなくなった
時には、本当のことは黙っている
そんな場面もある
言わないだけで、嘘じゃないもんね
「やましいことがないなら、言えばいい」
「悪いことをしてないなら、隠す必要がない」
そうかもしれないが、これもね
法律上、業務上はともかくとして
どこまで自分のプライバシーを守ればいいか
やましいか否か、プライバシーを公開せよ
別個の問題があると思う
例えば、生理用品が入ったポーチを見せるかは
例えば、わたしのスマホやpcを見せるのは
相手が公開範囲を決めるのではなく
わたしに範囲を決めるプライバシー権を持つ
その上で、わたしを信じるか決めるのは相手
相手が信じると決めたなら、決めた責任は相手
そもそも、刑事や民事にもならないことの
わたしへプライバシーを公開させる権利は
相手にはないし
プライバシーの公開=愛なら、そんな愛は要らない
わたしを信じるとは
わたしを信じた自分(=相手)を信じるのであって
わたしではなく、相手が自分の判断に
責任が持てないから、疑うんでしょう?
#聖なるウソを呟いて 、あることじゃない
わたしを優しいという人がいて
わたしを楽しいという人がいて
わたしを強いという人がいて
全部、嘘だと思っている
優しい嘘なら、対人関係がうまく行くなら
人から好かれるのであれば
社交という大義で、人を欺いているに過ぎない
騙しているんだよ、聖なるウソを呟いて