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リアルの友達、ネットの友達

SNSの友情を言及なさっていらした
きゃらをさんと、香坂兼人さん
お2人の意見には、概ね賛成で
面白いので、わたしも話題にのっかります

まず、わたしはSNSと実社会
友情はどちらもあり
SNSだから本物(ニセモノ)
実社会だから本物(ニセモノ)は、なく
出会ったきっかけでは判断してない

顔や声を知らないから友情はない
本名を知り、会ったことがあるから友達だの
わたしにはナイ

自分が持つ、悪い部分をどれだけ見せられるか
線引きがあるとしたら、ココ

「わたし達、友達だよね」
あまり意識したことがなく
言っていい・見せていいだけが、限定

「Aさんと居ると心地よく、Bさんとはしんどい」
どちらも仲が良いのに
Aさんの短所を見ても許せる、沈黙でもラク
Bさんの短所を見なくても、2人きりが辛い

SNSにもある

どちらの王様にコメントしているのだろうと
自分でも思うほど、尊敬語でしか書けない
「距離をあけてる」実感する

個人的に仲が良くて、対外的には
お礼のコメントやリプに尊敬語は使っても
会話はどこか、丁寧語や平易な言葉になってしまう
顔や本名などを知らない相手へ心を開いている

自己破産だせーーーー!(笑)
そんなことなら彼に笑いながら
伝える事はできるとき
俺は心からの親友だと思う
彼は俺の事を嫌っているかもしれない
そんなのどうでもいいよ(笑)

https://note.com/kyarawo/n/ne51d680bbe3d

きゃらをさんは、自己破産の話なら
わたしはなんだろう

SNSに友達が居るなら、1人しか見せられない姿
ネットがなくなっても、関係は続いていくと確信し
だから、親友だと認定していい

大切なのは俺の感情でしょう。
なんかオールを他人に預けまくって
noteは素晴らしいとか
そういう記事を見ると
悪いんだけど浅いなって思う(笑)

リアルだろうとネットだろうと
そこに人がいるのは同じことで
嬉しいも怒りもあり哀しいも楽しいも
経験するから絆は深まるのに
浅い嬉しいで舞い上がられると引く

https://note.com/kyarawo/n/ne51d680bbe3d

きゃらをさん、言っちゃったなと思った

SNSの友達がいる・いない、関係なく
この部分に共感する人がいると想像する

忖度しないと切られる関係
カルト教のような主従関係を望み
ご機嫌取りがゴロゴロある

忖度や機嫌取りがあるのも仕方ない

記事にしろ、文章はどうしても内観しているので
人柄が見え隠れし、文面に本性が現れる

記事主が、フレンドリーなら忖度は少なく
意地の悪さや支配欲が出ていると機嫌取りになる

リプやコメント欄など、露出のある所では
良い自分で振る舞ってしまうから
“NO”が言えないんだな

そんな記事主に近づく方もバカだけど
近づくとメリットがあるんだろうね?
何の?

この誹謗中傷ってのの問題は「批判意見に対する非対称性」ってやつだと思うんだよ。

https://note.com/dulduine/n/n6b194337b4e3

言葉は悪いけれど、誹謗中傷ってのは有名税だなんて意見もあるのかもしれない。
これは、SNS上で人気を得たヒトについても同じことが言えるのかもしれない。
ここで言う人気ってのは、発信に対して感情を刺激されるヒトが多いってことね。

https://note.com/dulduine/n/n6b194337b4e3

友の受け売りを話すと
世界人口約70億人いて
フォロワー数が100人以上5万人以下の
フォローバックでフォロワーを増やした記事主に
なんの影響力があるんだろうか

ネットは相手の素顔を垣間見ることができるので
詐欺師ではないなら、気性の合う・合わないのが
リアル以上に理解出来る
自分の価値観に合う友達を吟味できる長所がある

実社会、ネット
どちらもわたしが自然体で居られる人が、友達
あなたがわたしを友達と思っていなくても
わたしには、あなたが友達なのです