見出し画像

罪人は本来なら生きる価値ナシ

生きる価値、生きているだけで価値がある
その価値は誰が決定するのか

シンプルに考えたとき、360°の自分は善人か

人は生きている限り、誰もが罪を背負っている
朝ごはんを食した時点で罪人
誰が死んでまで、あなたに命を提供したかったの
お米さんや小麦さんの気持ちになれば、そう

今日は憂鬱だから、小声で挨拶したんじゃないか
ぶつかった人に謝ったのか
愛する人を粗雑に扱ってなかったか

相手を元気にしたくて
「生きているだけで価値がある」
慈悲や慈愛で言っている意図の裏には
そこまで考えていないのではないか

罪人だから、本来なら生きる価値ナシ

多分、ここで承認欲求を出してくれば
もっともらしいことが言えるのだけど
大前提は、万人受けはしない事実がある

SNSをやっていたら、トチ狂う感覚

自分以外の他人へ
自分の価値を認めてもらいたいのは分かる
それが人間だから
しかし多数からの絶対的価値なんぞは手に入らない

自分が「この人から」と、たった一人を見つけて
その人から認めてもらったら
昨日まで落ち込んでいた自分が、随分と回復する

その人から否定されないよう、日常を生きることで自分が日々、高まっていく
わたしが言わなくても、経験則でそうじゃない?

あとは、そう
自分とは、自分にとってかけがえのないものという相対的な価値を見い出す

オークションなどで有名人が所有した○○が
十数億円で落札されたとか
落札された時点で実質価値が付くけど
わたしには、ゴミだから

逆に言えば、他人から見て無価値なものも
自分には相対的な価値があると思えば価値がある

生きる価値なんて
たった一人を見つけ出せなくとも
自分が自分を必要と感じるなら
それが自分にとっての価値になり
他人の意見はあまり必要ない

生きる価値は、自分の判断で決めるもの

犯した罪以上に、感謝しながら謙虚に生きてこそ
代償は払えるのだから
小さな存在の自分が愛しい