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風のように発生して、消滅して

Twitterで、ゼロの紙さんのツイートを読み
noteでの自分がいる場所を想像してみた

まず、浮かんできたのが
俳句や企画などを大々的にお知らせする記事は
学園祭の賑やかで
クラスの陽キャさんグループを彷彿する

恋愛に関する詩や記事を記す方々
旅行、グルメ、音楽、仲間内の紹介記事の方々は
スクールカーストの上位に君臨する
可愛い子達の集団

情報商材系や専門的な記事を書く方々は
部活や気が合う者同士でダマを作り
戯れている光景

創作をしている方々は
一つの机に固まり、おしゃべりしながら
のどかに過ごしているのが、目に浮かぶ

個人で活動なさる人も、目に入るとは
存在感がある証拠なわけで
「今日はどうした?」が分かるので
クラスでは、なくてはならない存在

クラスのあちこちに群れがある様子は
互いの記事へ行き交う姿と変わりない
『距離感』とは、冒険しないもので
仲良くしたい人のところのみ寄り合う
それは、当然といえば当然だと思う

生き方、心も低燃費で居たいもの

以前、どこかの記事に書いたが
わたしは古文や日本史の時間に外へ出て
高校付近にあるビルの屋上で、読書をしていた

どの人からも良くしてもらったし、不満がなく
面白おかしく生活しているのに
noteに自分の居場所を探すと
属する場所がないのに、気がついた

わたしが授業を抜けてもバレなかったように

ネットだけではなく、実生活まで
ここぞという
しっくりした居場所がわたしにはなく
「ここが良さそう」には “closed”

流浪人でも、遊牧民でも、なんでもいい
風のように発生して、消滅して
留まらない自分も、わたしらしい生き方に思う