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サイコパスから学んでみる

「今日、頭痛がするんだよね」
「わたしも〜」
共感するのを忘れて、やっちまった

瞬間的には、相手は共感されたと錯覚するかも

まあ
「自分が一番大変で、人一倍、苦労して
こんなに不幸なの」不幸のマウントよりマシ


人は話すだけで、胸の支えを下ろし
かなりのストレス解消になる
共感されると
「自分は間違ってないんだ」

共感は肯定によって、自分の味方を得た気分になる

わたしの言い分が正しいなら
問われてないアドバイスが嫌われるのは
「私を分かってくれない」
アドバイスされたこと=自分への否定

他人と自分の境界線がないと
「自分がこうだから他人もこう」
思い込んで、自分の意見を押しつけてくる

恐らく、こんな感じかな


ところで、サイコパスは共感力がないという
実際、サイコパスだったかもしれない人が
周りにいた人から話を聞いた

サイコパスは
とても好印象で、愛想が良く、自分に共感してくれ
映画や小説にあるような冷酷さを感じないという

むしろ人懐こく、自信に満ち溢れているので
サイコパスと分からないらしい

次第に剥がれていくウソの数々で
他人はサイコパスから離れていくそうだが
サイコパスは獲物になり得る人を鋭い嗅覚で見分け
獲物に話を合わせる
ウソがつける特性があると教えてもらった

では、共感とはなんだろう

理屈からいえば
他人を個別にツボをどう刺激すれば
相手が喜ぶ、または悲しむか
観察力が高ければ、共感度が良くなる

サイコパスは共感が道具
いかに相手を支配し搾取できるか、なので
むしろ相互理解を深めたい希望がない

サイコパスは天性の観察力を持っているなら
共感度の低いわたしはどうすればいいか
サイコパスに倣い、観察力(洞察力)を磨き上げるか

単純なハナシ
自分に似た価値観、道徳観、罪悪感など
自分に似た人の輪に入るか

どの事象にも多数派がいるので
日頃から周囲をリサーチしておくか

安っぽい人と思われようが
ボキャブラリーを減らし、徹底した聞き役になり
「良かったね」「大変だったね」「大丈夫?」の
使い回しをしておくか

でもね
ここで自己弁護すると
苦手なこと=共感をどんなに研鑽しても
苦手を克服するコストに見合わず
共感度が高い人には及ばない

無駄な努力とは言えないが、それなら
自分の持ち味(長所)を更に注力すれば
共感が高い人と同じぐらいに
他人へ寄り添える人間になれるのではないか


共感度が良くても
他人の歓喜は自分事のように嬉しいけど
他人が悲惨なときは
自分も影響されてネガティブになるだけ

人と付き合うって、メンドクセーな