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コメント欄、何が変わったのか

2年前のわたしが、よそ様のコメント欄にいた
アカウントは削除してあるので
記事主さんの壁打ち状態

今と昔、コメント欄の何が変わったのだろう

2年前のnoteのコメント欄はチャットのような
記事主Aさんのコメント欄では
Aさん⇔コメント主ではなく、そのコメントを見て
コメントをつける人などがいた
戦後すぐの長屋にある、人情味溢れた会話があった

前も誹謗中傷はあった、ケンカもあった
しかし、そこには間に入る人がいた
第三者が介入して事が治る件が見受けられた

今なら間に入るのは、勇気がいる
だけど、前は第三者が入る文化があり
議論するなどの余地があった

では、現在いる人が冷たいのかと言えば違う

わたしは普段から、記事をマガジンに入れ
コレクションしている

過去記事を読むと分かるのが
中傷は、リアルタイムでタイムラインにある作品ではなく、日を跨いだ目につかない時間に起こる
中傷する側が悪質になっているケースがある

日を跨ぎ、コメントしてない記事は通知がなく
記事主が中傷されていたのを知らない
「こんなやり取りがあったんだ」と見ている

間に入ってくれた人も、今はあまりnoteをしない
精々、ご覧になっていただけたと知る程度

時代が変化したのだから
いつまでも昔を懐かしんでいられない
noteが盛り上がった時代を知ると
今は気が抜けた炭酸水で
交流は限られた人達のみになる

入りにくいコメント欄
内輪での盛り上がりは、内向的な人は入れない
だが、そこに配慮は要らない

コメントしなければ孤立する訳ではないから
交流としてのnoteか、投稿としてのnoteか
それだけのこと
テレビがなくてもニュースは入手できるのと同じ

交流を目的とするなら
記事を巡って、議論があっても良さそうなのに
そういった広がりも見受けられない

いつの間にか決められた作法に従いコメントし
『長屋』にあった「よぉっ!」すら許されず
紳士的になったのではなく、閉鎖的になった

おちょこのような狭い器では酸欠し
池のような広く雑多な所は、開放感が味を占める

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