見出し画像

コミュニティは良し悪しあって

最近、note沼への滞在時間が少ないので
一般的なコミュニティを観察した想いを書いてみる
わたしが昔『綱引きサークル』で、感じたこと

コミュニティって
極端なほど、他人と自分を同一化して
属するコミュニティに対する愛着を持つと
過剰に依存や忠誠心を持つようになり
更にはコミュニティに尽して
生き甲斐や喜びを見出しているように思う

所属するコミュニティが大好きなのはいいのよ

コミュニティが賛美を浴び
自分のことのように喜ぶ気持ちは
所属するチームが優勝した時など誰にでもある

それならまだいい

コミュニティに対して不満があると
コミュニティの悪口を言われていると怒り出し
さも我が身のように受け止めて
コミュニティ不満=自分への不満だ、とか
コミュニティと自分の区別がつかない場合を見る

ここで発動するのは
相手から舐められないようにするに尽き
マウントを取りながら恫喝っぽい喋りになる

問題点は、日本語の文法や表現で
空気や行間を読めという、雑で身勝手な強要

会話や言葉の「裏の意味」「裏の裏を読め」とか
空気や行間を読めない方が悪いなど
悪いけど、空気を読めって人に限って読めてない

古き悪しき慣習があるので
人は、書かれていないことを読もうする
言われていないことを事前に察しようとする
余分に気を遣わせるんじゃないよ

加えて、極端な二極化・二元化が加わるとかね

コミュニティの性質で関係性も変わってくるのに
意図しない事を勝手に読み取って、ニ極化・二元化
コミュニティの維持じゃなく
誰かを仲間はずれにしたいのかと思っちゃう

「子どもの頃にいじめられた」「毒親育ち」
虚言かと思うような、他人への圧力
自分がされて嫌なことを他人に押し付けちゃって

ネットになると、短文でやり取り
それも不特定多数になってしまうと
カオスになるのは当たり前なんだけどね

結論は、コミュニティにいると良い面があるけど
コミュニティ依存から
自分の安定が脅かされると、生きづらくなるのかな

わたしも誰かを不快にするから
もうちょっと強い心を持ちたいわ

画像1