涙目のチューインガム
「何を書いても読まない」
書くことはコミニュケーション能力が低いわたしにとって自己表現の手段であり、
心の奥底にある想いや感情を整理するための大切な作業。
以前は文章を書くことが好きで、創作に対する情熱がありました。
しかし時が経つにつれ、他者との比較が自分の作品に対する不安が募るようになりました。
noteの人気作品を見ると、自分の努力が無駄に感じることがよくあります。
恥を晒すことで、書くことの楽しさを忘れてしまったのかもしれません。
今では、ただ評価を求めるようになってしまった気がします。
わたしは他人からの反応を気にしすぎています。
そのため読まれない現実とのギャップから、
大きなストレスを感じていました。
noteでの比較はわたしの心を大きく揺さぶります。
人気のあるnoterの作品が多くのスキを集めているのを見ると、自分の作品がいかに評価されていないかを実感します。
その結果、自己肯定感が大きく下がります。
ストレスが溜まると、チューインガムを2つや3つまとめて口に入れてしまいます。
まだ口の中にあるのに、新しいガムを追加することもあります。
まるで発狂寸前のようで、本当に誰かへ聞いてほしいという叫びを感じながら、ガムを噛んでいます。
最近、共作を通じて相手の成功を目の当たりにしました。
すると、自分の作品が埋もれてしまうことへの焦りが強まりました。
相手は人気のあるnoterです。
山根あきらさんの文章は論理的で、構成力や表現力が高く、豊富な語彙と知識を持っています。
そのため周囲からの評価も非常に良いです。
相手方の作品には多くの称賛が寄せられる一方で、自分の作品にはほとんど反応がない日が続くと、「わたしの書いた部分は本当に意味があるのか?」疑念が浮かびます。
共作の相手に敬意を抱きつつ、その成功を支えるために努力しましたが、自分のアイデアや熱量が無駄に思えました。
「上手く支えられたかな」と不安がある中、
力を出したところで悪文は評価をされない現実に直面します。
共作は必然的に比較されます。
読み手からの軽視は無力感を生み、次第に心が蝕まれました。
でも共作はわたしの因果応報で、
自傷行為、自殺行為したわたしを救うものはなく
気が収まると出した創作を下書きに戻しました。
とにかく自己犠牲の精神がないと、
自分で自分の存在意義が感じられなくなります。
他者との比較で気づいたのが、
先日、noteの友達と話をしました。
「全然読めてないまま創作大賞が終わった」
彼女は申し訳なさそうでした。
「私生活重視なんで読まれなくて当然です」
自分で言いながらダブルスタンダードだと思い
「また今年も辞めて行くnoterがいるでしょうね」
そのセリフにわたしは反応しました。
辞めていく人の気持ちが痛烈にわかる……。
「そうかもしれませんね」
「久しぶりにnoteを見たら知らない人ばかりで
Xで面白いnoterを見つけたのがラッキーでした」
彼女の話を聞きながら、わたしは自分の殻へ閉じ籠りました。
書き手を生かすも殺すも読み手だと感じます。
それでも書くことはわたしの自己分析の一環でもあります。
流されやすい性格を持つわたしは、日々の思考や感情を整理するため、
自分の言葉を紡ぐ必要があります。
話すより書くことで自分自身を理解し、心の中の葛藤を明らかにできるのです。
自己表現はわたしが自分の存在意義を見出すための重要な手掛かりであり、書くそのものが私のアイデンティティの一部になっています。
また、書くことで他者とのつながりを得た感じることもあります。
読んでくれる人がいるからこそ、私は書き続けることができます。
誰かがわたしの言葉や記事に共感し、Xなどで反応を返してくれる瞬間はわたしにとって大きな喜びです。
たとえそれが少数であっても、わたしの言葉が誰かの心に届く可能性があると書く意味が生まれます。
書くには苦しさも伴います。
人気のあるnoterと自分を比較してしまうと、
自尊心やモチベーションは消えてなくなります。
周囲のハイレベルに失望し、努力しても得られるのは空虚な結果ばかりだと感じることがあります。
このような状況に直面するたびにわたしは書くのをやめてしまいたくなる瞬間が訪れます。
ですが、わたしの内なる声はやはり「書け」と促します。
書くことはわたしにとって心の安定を保つ唯一の方法です。過去の経験や想いを言葉にすることで、
自分自身を癒し、成長させることができると感じています。
わたしは「面白い作品」を追求することも悩み続けています。
面白いとはなんでしょう。
どうすれば人々の心をつかむことができるのか。
「面白い作品ってなんだ」
本棚の前に座って、並んだタイトルを眺めます。
Amazonで表現技法の本を取り寄せ読み、
面白いとは何かを追究していますが、これでも身につかないなら著名な作家の筆記をしていくしかないと考えています。
「わたしが面白いや頭に浮かんだじゃダメなんだ」
他人がどう思うかですので、アフィリエイトみたいにマーケティングして、ここを自分が合わせないと読んでもらえないかもしれません。
欲求不満のジジババだらけのサイトなら、エロを盛り沢山にすりゃいいとさえ思います。
発想はやけっぱちと無気力が交互にわたしを襲います。
面白いってなんだろうと考えたら、
「目が離せない作品」だとわたしは思います。
最初から吸い込まれ、一行ずつに魅力があり、
行間が惜しくなる、次の段落へ期待が膨らみます。
「マジか」の展開、
気がつけば最後の句点があり「面白かった!」
わたしが説明するまでもなく、
人物設定と世界観の設定が群を抜いているのが
最後まで読ませる小説なんだと感じます。
周りは自分自身のために書いているんだろうか?
いや、違う気がします。
誰か一人でも講評してくれる人がいるから書けているんだと感じます。
クスッと笑ってくれて、時に心がヒビ入るほどの批判があっても、読んでくれる人がいるから、
フィードバックを受けられるからかもしれません。
わたしは読んでくれる人がいるスタート地点すら
立ててないのを思い知りました。
あとは書くのが好きだけじゃダメですね。
「書かなきゃ死ぬんです」
息するように書いていたい人。
化石燃料だっていつかは無くなるというのに
自らの意思が燃料にできる人が読んでもらえる人になる気がします。
才能や努力も必要で、読ませる文章を書くセンス。
何より諦めない肝が自分を牽引するのかもしれません。
努力をしても日の目を見るなど保証がないのに書ける人って、本当に凄いです。
書くこと自体が楽しいと感じる瞬間を取り戻すためにわたしはこれから日々努力しているつもりです。
自分の作品が誰かに届くことを信じて、これからも書き続けたいです。
苦しみや葛藤があっても、わたしはこの道を選び続けるでしょう。
書くことがわたしの心を穏やかにし、
自己理解を深める唯一の術だからです。
今はつらくてポジティブな結論が書けません。
明日、精神科を受診して、
「また書くことで心が軽くなればいいね」
自分を慰めています。
御応募いただいた記事は松下友香さんのマガジンに
入れさせて頂いたり御紹介させて頂いたりします。
御予約も受付中🌈✨
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【引用】太字は記事や予約のあるところ
湯山昭先生のピアノ曲集『お菓子の世界』リスト
序曲「お菓子のベルト・コンベヤー」✴︎松下
①シュー・クリーム✴︎松下
②バウムクーヘン✴︎松下
③柿の種✴︎松下
④ショートケーキ✴︎和田大貴さま
⑤ホットケーキ✴︎立山 剣さま
番外編1「コルネ」✴︎大石良雄さん
間奏曲1 「むしば」
⑥ウェハース 御検討中の方がいらっしゃいます。
⑦ドロップス✴︎音葉さま
⑧チョコ・バー
⑨バースデー・ケーキ
⑩クッキー✴︎春永睦月さま✴︎御予約中
⑩クッキー✴︎続気楽な散歩。さま
⑩クッキー✴︎あかうま様
間奏曲2「どうしてふとるのかしら」
間奏曲3「カラヤンの音楽の桃源郷:完璧を追い求めた3年間」✴︎和田大貴さま
番外編「あんころもちに出会った日」音葉さま
番外編「マシュマロを焼く」音葉さま
番外編「美しい聖夜」音葉さま
⑪ヌガー✴︎あかうま様
⑫ソフトクリーム✴︎友音さま
⑫ソフトクリーム✴︎あかうま様
⑫ソフトクリーム✴︎しずく様
⑬ボンボン✴︎和田大貴さま
⑭鬼あられ
⑮マロン・グラッセ✴︎松下
⑯金平糖✴︎和田大貴さま
⑰プリン✴︎三羽 鳥さま
⑰プリン✴︎あかうま様
⑰プリン✴︎&N=^_^=さま御予約中
⑱ポップ・コーン✴︎音葉さま
⑲チューインガム✴︎ももまろ˚✧₊⁎‧˚₊*̥(∗︎*⁰͈꒨⁰͈)‧˚₊*̥⁎⁺˳✧様御予約中
⑳甘納豆✴︎音葉さま
⑳甘納豆✴︎松下
㉑ドーナッツ✴︎李朱さま
終曲 「お菓子の行進曲」✴︎松下予約
記事は番号順でなくて大丈夫です。
書きたいところからどうぞ^_^
記事が重なっても構いません。
#藤原華さん
#松下友香さん
#湯山昭さん
#山根あきらさん
#お菓子の物語
#なぜ私は書くのか
#小説を書くのはやめようかな