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今月の総括として、苦情を深掘り

noteのみならず、twitterやInstagram、youtube
手軽に誰かの近況や心情を知るツールで
外出先からは、読書よりネットを読んでいる

正直、良い意味で「ふ〜ん」と流してしまうのだが
「他人に、こういうことが起こっている」に過ぎず
不特定多数に向けた発信を
わたしにのみへ与えるメッセージと思ってない

今月の総括として
わたしの投稿する記事が
「アタシへの当てつけや嫌味」と捉えられ
苦情を頂戴した回数が、一気に増えた

いくら、実生活で感じたこととアナウンスし
内省して「これは刺さない」と考えても
読み手の受け取り方次第なので
これらを深掘りして、考えてみた

恐らく、根底には
人間関係は大まかに、味方・無関心・敵に分かれ
他人の言葉は優しい、よそよそしい、攻撃と
分類されていく

日本の風土から
「嫌味や当てつけの遠回しな言い方する民度」
少し機微に触ると、相手を警戒しつつ攻撃しており
他人を敵くらいに見做しているのだと思う

わたしは、自分を滅ぼすほど自己犠牲できず
かと言ってわたしさえ良ければいいと思ってない

なるべく、実社会で得た経験則を文章にし
誰かの役に立っていたいと願う

実社会もネットもバランスの上で生きて
わたしの自己犠牲した気遣いは
相手との、心地よい関係になるのだろうか
本来なら、過剰な気遣いは負担になるものだが

自己犠牲で、虚像と想像とフィクションを施す
ありもしない、わたしの現在や過去は
無理した気遣いにしかならず
読み手が何を望んでいるかの判断は
1対1なら、相手の意を酌むこともできる

結局は不特定多数を慮る意識とセンスが大事で
思いやりの精神を高めることが大切なのも
反省する中で覚えていくが

往生際が悪くて、ごめんね
本当にわたしだけが反省することなのか
相手はわたしを見つめ過ぎているのではないか
その辺りも、かすめたりする

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