見返り? ください! 愛がいい
「誕生日、何が欲しい?」
「クリスマス、どんなプレゼントがいい?」
わたしは必ず『愛』が欲しいと答えた
相手を試すなど、陳腐な行為ではなく
単純に愛が欲しかった
愛は、それぞれが違う形で返ってきた
わたしの携帯を見て、へし折った人がいた
ハイブランドや宝飾品が贈られた
結婚しようって言い出す人もいた
どれも愛だと納得できず
器物損壊罪で警察に通報し、品物はお返しした
結婚に至るまでもなく、自然消滅した
愛って、なんだろう
わたしが欲しい『愛』はどういうものだろう
わたしが欲しい『愛』は友達から贈られることが
多々あるように思う
わたしが嬉しいと、一緒に喜んでくれ
わたしが悲しいと、辛いねって言ってくれ
間違ったことをすると、厳しい言葉で叱ってくれ
受け入れてくれることが『愛』なんだって思う
生まれて初めての入院は、流産だった
妊娠が判明してから、1週間ぐらいで
お腹の中にいる赤ちゃんは死んでいた
稽留流産って種類の流産だと聞かされた
両親はわたしに何も言わなかった
ただもう、身体の心配をしてくれ
咎められることなく、お寺で法要を行った
「身体」の無い者へ、家族は手を合わせてくれた
後になってみると、これも両親の愛だと気づく
わたしは両親とは違う、1人の人間
両親はちゃんとわたしを受け入れてくれたんだ
あの時のことは、今でも家族に感謝している
わたしはコメント欄を閉じているので
一件ずつメールを返信する中で感じた答えに
『愛』って、距離の中にあると思った
愛は近すぎると互いに執着し
どこかで、相手を自分の思い通りにしようとする
愛は成熟することなく、枯れていく
相手が遠い距離にあっても
全く気にならなくなったのは
わたしを愛してくれているという自信ではなく
相手はきっと、成功する
過去より成長を重ねて邁進している
現在の苦難を乗り越えると信じている
1月にしぶんき流星群を数えた
先日は180度に跨る虹を見上げた
無意識で最初に願ったのは、相手の幸せだった
『愛』とは、常時、傍に居なくても
普段の生活で、ふとした瞬間
相手を気にかけていることなんだなって
相手の努力や生命力を信用していると認識した