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立川談志と談春・志らくをめぐる二冊〜「赤めだか」と「師匠」(その2)

(承前)

「赤めだか」を再読していて、思い出したのが立川志らくの「師匠」(集英社)。志らくと立川談志をめぐる物語である。

落語に目覚めた中学生の志らくが好んだのは十代目金原亭馬生、彼の父親が所蔵するレコードを聞いていた。古今亭志ん生の長男、志ん朝の兄、そして女優池波志乃の父親である。

大学1年になった立川志らくは馬生の高座を観ることになるが、それは病に冒された姿だった。志らくは馬生の弟子になろうと考えるが、この舞台の10日後他界する。

失意の志らくは池袋演芸場に向かうが、その日の主任は立川談志、<私は談志が嫌いだった>(「師匠」より、以下同)。しかし、談志の高座に衝撃を受けた志らくは、談志の落語を追いかける。

高田文夫の仲介により、談志の弟子になった志らく、前座修業が始まり兄弟子の談春と会う。<彼がよもや終生のライバルになるとは夢にも思わなかった。第一印象は、いいかげんでやる気のない若者でしかなかったからだ。>

前回書いた通り、談春は「談春・志らくと並べるのは、もういいんじゃないですか」と語る。一方、「師匠」が上梓されたのは昨年、志らくは“終生のライバル“と言っている。このあたりが、面白い。

談志の弟子として、最初に名前が挙がるのは、やはり志の輔・談春・志らくということになる。失礼と思いつつ書くが、志の輔は誰もが面白いと思う落語を演じる。落語ファンにとってたまらないのは談春である。そして、志らくはずっともがいている、あくまでも私見であるが。

晩年の談志の印象的な言葉がある。<「志の輔はオレのメディアの部分を見事にやっている。談春は美学をやっている。志らくはイリュージョンをやっている。三人揃うと談志になるんだよな」>。志らくは、最も難しいパートを担当したのだ。

立川志らくは器用な噺家である。談志もそうだった。談志は、どんな噺でもこなせるのだが、同世代の“名人“志ん朝や、師匠の柳家小さんらを凌駕しようとして苦しみ、その姿をさらしながら成果を出した、そんな人生だったように思う。志らくも同じ道を歩んでいるのだろう。

さらに、昭和歌謡、映画、自分と同じ感性を持った志らくを、談志は可愛がった。志らくもそれに応えようとした。

志らくは談志を嫌った理由として、<落語家のくせに議員になった、テレビに出てくれば生意気なことばかり言って、こんな落語家がまともな落語をやるはずがないと思っていた>と書く。その彼が、談志の教えに従い、メディア露出を意識的に行い、世間における認知度を高めている。X(元ツィッター)でも自論をさらし、世間の反応を吸収し、どこかに向かおうとしている。

<私は談志そのものになろうとして、世間から笑われています>と、亡き師匠に向け話している。

談春とは対照的に多くの弟子を抱える志らく、これもまた彼なりの談志ワールドの継承の方法なのだろう。

志らくはどこに行きつくのか、本書はその途中経過である

*「師匠」刊行記念、太田光との対談はこちら



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