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デヴィッド・ゲルブ監督『二郎は鮨の夢を見る』

 マグロがルビーに見える。

 ウニが金に見える。

 そんな美しいドキュメンタリー映画。

 小野二郎さんも、長男・禎一さんをはじめとする『すきやばし次郎』で働く人たちも、仕事をする所作が実にしなやか。

 映像を通して伝わってくる、よく研いである包丁みたいに研ぎ澄まされたプロフェッショナルの仕事に、圧倒されます。

 特に、小野さんが語った、

 自分がやろうと思った仕事、それにもう没頭しなきゃ駄目です。
 好きにならなきゃ駄目です。
 その自分の仕事に惚れなきゃ駄目なんですよ。
 ただ「あれが駄目 これが駄目」って言ってたら、一生経ってもまともなことは出来ないと思います。
 だから自分がこれを覚えようと思ったら、それはもう必死になって死にもの狂いでやるということが成功にも繋がるだろうし、それから自分が良くなった時に立派な人間になれるんじゃないかなとわたしは思いますけどね。

(デヴィッド・ゲルブ監督『二郎は鮨の夢を見る』から引用)


 という言葉がかっこいいです。

 また、このドキュメンタリー映画の撮影当時、小野さんは85歳でしたが、まだ自分の仕事を完璧だとは思っていなかったそう。

 「まだあるんだろう、まだあるんだろう」って上を見るわけでしょう?
 っていうことはまだ上に何かがあるっていうこと。
 そこまで頂上まで行けば完璧かも分かんないけど、じゃあこの頂上はどこかっていうと分かんないわけですよ。

 ただこれをもう惚れて惚れて一生懸命これをやって、少しでも上へ少しでも上へっていう風に考えて現在まで来ています。

(デヴィッド・ゲルブ監督『二郎は鮨の夢を見る』から引用)


 という言葉も好き。

 登龍門を思わせる生き方だな、とわたしは思います。

 古くから「急流を昇る鯉は龍になる」という言い伝えがありますが、きっと龍になってもなお昇ろうという努力をやめない人こそが龍になれるのでしょうね。

 その姿を見て次世代の龍たちが続いていくのでしょう。

 そういう職人だからこそ、築地市場の魚のプロフェッショナルが、

 朝のせり場で見て「あ、これは『次郎』さんにあげたいな」と思うから。
 もう、そういう感じ。

(デヴィッド・ゲルブ監督『二郎は鮨の夢を見る』から引用)


 と信頼して、良い魚を選んでくれるのだと思います。

 違いが分からない人にあげるよりも、良さを分かってくれてその美味しさを引き出してくれる人にこそ良いものをあげたい! と思うのは当然のことですよね。

 魚もその方が喜びそう。

 また、小野さんはお客様の席の配置や、お客様が男性か女性かどうかで鮨の大きさにも配慮し、また、男女がランダムに席に着いたとしても鮨の大きさを間違わないよう、最初に席の位置を頭に叩き込むのだそう。

 そして、お客様が最初のお鮨を左手で箸を持って食べると、二つ目のお鮨以降は左利きの人が食べやすいようにお鮨を出してくれるそうです。

 お客様のことをよく見ていないと出来ないことですね。

 また、このドキュメンタリーの中で禎一さんが、まき網や底引き網など、乱獲によって稚魚まで獲ってしまうことで、どんどん魚が居なくなっている現状に警鐘を鳴らしていることも素晴らしいと思います。

 漁師が魚を獲ってくれなければお鮨を握ることは出来ないけれど、獲り過ぎると今後魚が居なくなってしまいます。

 自然界のバランスに配慮しなければ、美味しいお鮨を頂き続ける出来なくなるのだ…ということにも気づかされます。

 また、小野さんはこのドキュメンタリー映画の中で、フランス料理の巨匠 故・ジョエル・ロブションのことを、

 あれだけよく敏感に分かったらいいなあと思うもん。
 わたしも鼻には抜いているんだけれども、やっぱ違うわねえ、その敏感さが。
 だからあの人くらいの舌、鼻、持てたらもっと凄いだろうなと思うもん。

(デヴィッド・ゲルブ監督『二郎は鮨の夢を見る』から引用)

 と絶賛しています。

 ロブションはこのドキュメンタリーには登場しませんが、小野さんのことを他メディアで「親友」「終生のライバル」「日本料理の真髄」とやはり絶賛していました。

 残念ながらロブションは早くに亡くなってしまいましたが、お鮨とフランス料理という違いはあれど、お互いに尊敬し合える職人と出会えたというのは素晴らしいことですね。

 お料理も、人との出会いも、まさに一期一会。

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