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世界が変わった!

自分のことを許せなかったとは、思ってもみませんでした。

条件付きの愛を与えていたのは私。

だから、子供たちのことも条件付きでしか愛していませんでした。


だけど、そんな自分を決して認められない。

そんな私がいました。


子供たちも大きく成長し、過ぎてしまった時間は取り戻すことはできない。

けれども、まだ生きているんだから、私も子どもたちも。


だから、大丈夫。


今になって気づいたことも、自分を許そうと思います。

ひすいこたろうさんの著書「あした死ぬかもよ? 人生最後の日に笑って死ねる27の質問 名言セラピー」でありました。

ありのままの自分で、その湧き上がる本心から生きたとき、たとえ3日の命でも、そこに後悔はない。それが命というものです。

「もう時間がない、、」とか

「こんなに遠回りした」とか、

「もうこんな年だし」なんてことばかり、考えてきたけれど、

ようやく前向きに人生をとらえることができるようになってきて、ダメな自分も、かっこ悪い自分も、頑固な自分も、意地悪な自分も、ふてくされる自分も、かわいいと思えるようになってきました。


自分を認めることは、難しいと決めつけていました。


ただ、やる気がなかっただけです。


そして、やる気がないと自分を責めていました。


やる気がない自分を「それでもいいんだよ」と認めることが第一歩だったし、十分前進していたのにも関わらず、


ここがダメ、ここもダメ、あそこも、ここも、、、


そうして、気が付けばうつ状態になっていました。


自分のやること、なすこと、否定していたから、鬱にもなりますよね。


ぜーんぶ認めれば、見方が180度変わりました。


自己受容を学んだことのある人は、できていると思います。


ただ、あと少しのところで、自分を責めていることに気づいていないだけなのだと思います。


完璧主義だった私は、自分責めの地獄の中にいました。


一つ一つ、丁寧に自分を許していけば、たどり着けるのに、「もうあきらめなよ」という声が、どこからか聞こえるのです。


「今やってるし、進んでいる!」と言い返せればよかったのですが、それができなくて、弱気になってしまいます。


自分の気持ちよりも、ほかのだれかの気持ちを優先していたら、いつまでたってもたどり着けるはずもないのに、いつも自分の気持ちを後回しにしていました。


それなのに、子供たちからも、元夫からも「自分のことしか考えていない」と、言われる始末でした。


「え??こんなに自分を犠牲にしているのに?!」と訳が分かりませんでした。


でもこれは、ちゃーんと私の潜在意識を反映した結果でした。


家族のせいで、私は犠牲になっていると思いながら家事や世話をしていたら、家族も自分は犠牲になっていると思っていたんですね。。


それで、きっと「自分のことしか考えてない」って言葉が出たんだと思います。


自分の思考がこの世のすべてを創っていると、スピリチュアルでは言われますが、もともと私はスピリチュアルが大嫌いで、そんなもの信じてどうするの?と思っていましたが、


スピリチュアルどうこうではなく、自分の思考が自分の周りの世界を創っているのだと言い切れます。


なぜなら、自分が変わったら、感じ方が変わり、周りも変わるからです。


自分が変わるとは、自分のありのままのすべてを認めること。


誰だって、できる。


自分は自分の思い描く世界に行くと決めたから、決してあきらめませんでした。


今から、オリンピックのメダルを取るのは不可能かもしれないけれど、自分の世界を変えることはできます。




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