見出し画像

#39 ゲームデザイナー・鈴井匡伸(インディーズゼロ代表)「ゲーム業界NOW」(2021.5.21&28&6.4)

画像6

本日のお相手はブンクリ初のゲームデザイナー。従業員45人のゲーム会社「インディーズゼロ」を率いる鈴井匡伸さん。会社HPによるとこういうプロフィールの方みたいです。

1973年2月生、O型。小学生時代は茨城県土浦市、幼稚園と中学生時代は滋賀県大津市で過ごす。中学3年の秋、両親の転勤でアメリカの高校へ進学。
この時、アメリカ人に「ニンテンドー」という言葉が通じ、世界中でゲームが楽しまれていることを肌で感じる。高校卒業後に帰国し、法政大学社会学部に入学。学生時代に任天堂電通ゲームセミナーへの参加を経て、株式会社バンダイ入社。退職後、1997年にインディーズゼロを設立。コンシューマーゲーム機を中心にゲームソフトの企画・開発に携わる。代表作は「千年家族」「エレクトロプランクトン」「しゃべる!DSお料理ナビ」シリーズ、「ゲームセンターCX 有野の挑戦状」シリーズ、「シアトリズム」シリーズ、「ファミコンリミックス」シリーズなど

まず鈴井さん、幼少時代からモノづくりの萌芽はあったようです。

小学校の頃は漫画家になりたくて、クラスの友達と交換漫画してました。それはリレー形式で2ページ描いて、引きの絵のところで友達に渡して互いに続きを描き合うというもの。藤子不二雄にあこがれて『コロコロコミック』読んで、バンダイに踊らされてチョロQ買って、ラジコンもやったし。友達と新しいルールを作って遊んだりもしましたね。オリジナルルールを入れたケイドロとか。当時から「僕ならこうするのに」とか「こうした方が面白い」っていうのはよくやってたんです

もともとあったクリエイティブ指向は途中で曲がり角にぶつかります。

当時は漫画家に憧れたけど、小6のとき父親が『まんが道』(藤子不二雄A)を買ってくれて。それを読んだら締切全部落として、仕事がなくなって絶望するという話があって、「これはムリだな……」と(笑)。それで個人事業主は厳しいと思って、サラリーマンとしてモノづくりができる道を模索するんです。ゲームクリエイターってサラリーマンだし、お金を出してもらった上にチームや仲間と一緒にものが作れるからいいなって思いましたね

さらにゲームに魅せられたキッカケがアメリカ留学中にあったとか。

当時はインターネットがないので、日本のテレビを観る術もないし、ジャンプも読めない。両親の都合でアメリカに連れて行かれて、「こんな人生どうなんだろう?」と思いながらつらい時期をすごしてたんです。それが英語もたいしてしゃべれない中、「ニンテンドー」という言葉は通じたんです。向こうには『ニンテンドー・パワー』って雑誌があって、ファミコンも「ニンテンドー・エンターテイメント・システム(NES)」って呼ばれてて。それが僕の家にあるってことで「おまえの家に行かせてくれ!」ってなり、それで一緒に対戦してるうちに友達ができたんです

異国でのコミュニケーションツールになった「ニンデンドー」の偉大さ。あ、こんな対談もされてるんですね。

スクリーンショット 2021-05-17 20.15.01

さて、そんな鈴井さんのクリエイティブトーク。先述したように、子供の頃から鈴井さんは根っからのモノづくり少年でした。

小学生のときはゲームウォッチが好きだったけどあまり買ってもらえなくて、ファミコンもすぐには買ってもらえなくて。そういう何かに飢えてる状態は大事だと思います。僕が育ったのはフィギュアのない時代なので、藤子不二雄の『21エモン』に出てくるモンガーとか、『Dr.スランプ』のガッちゃんとか自分でフェルト縫って作りましたから。パーマンセットもインベーダーキャップ(『ゲームセンターあらし』)も自作しましたね!

ゲーム業界は時代のクリエイティブの最先端。そこで感じるものも大きいのではないでしょうか?

僕たちの頃は「飢え」がクリエイティブの原点だったけど、今は逆に飢えるのが難しいじゃないですか。だから選んでいって、選択し切った人がクリエイターになってると思います。今はネットがあればゲームも無料でDLできるし、Netflixに入っていれば過去の名作映画もいくらでも観れる。たぶんいまクリエイターになった人は、自分に刺激を与えるものをちゃんと選んで、見つけて、それをアウトプットできる環境を探し出せた人なんです

ゲーム業界の変化も肌で感じると言います。かつては「ニンテンドー」と呼ばれたように日本のゲームが一世を風靡。それが今では?

昔は日本のゲームは最先端で、アメリカはリアル志向、日本はアニメっぽいキャラクターという違いがあったまま、それぞれ進化してたんです。それが今はゲームエンジン(ゲームを作るソフト)が共通化して、アウトプットされる技術環境も統一化されて、作る作品も共通化してます。そんな中で日本のゲーム会社の存在感も変わってきて。2000年代は世界の中で日本市場が4割あって、邦画と一緒で日本市場だけで食べていけたんです。だけど今はワールドワイドを意識したものじゃないと成立しない状況。今はアメリカ4、欧州3、日本とアジアが3くらいの割合ですね

あちこちで語られる「日本のガラパゴス化」「エンタメのグローバル化」はゲーム業界でも進んでいるようで。

もう学ぶ立場なのかな、とも思います。たとえ自分たちがいいと思っても、世界市場がいいと思ってるものの方が上というか。今後はハリウッド映画みたいに、世界中で売れてるものが王道で、日本の考え方がマイナーになっていくのは間違いないです。たとえば今の漫画家さんなんて、世界中のマンガアプリで見てもらうにはどうすればいいか真剣に考えてて。具体的には日本独自の「見開きで完結」ではなく、世界標準の「縦スクロール」に対応しようとしてますよ

鈴井さんが目指すのは100%世界を意識したゲーム作り。そんな中で開発したのがコレ、『寿司ストライカー』。回転寿司のパズルアクションです。

パッと見ると『コロコロ』向けじゃんと思うかもしれませんけど、発売前に欧州や北米にリサーチしたらウケがよかったんです。なのでジャパニーズカルチャーを世界中にカッコよく見せる方向に舵を切りました。だから主人公の名前はムサシで、髪は金髪で目が青い設定。これは有名な話ですけど、欧州で人気の『ドラゴンボール』『NARUTO-ナルト-』に共通するのは主人公が金髪で目が青い、って部分なんです

ナルホド、そういう部分にも気を遣ってるんですね!

スクリーンショット 2021-05-17 21.43.13

スクリーンショット 2021-05-17 20.16.15

スクリーンショット 2021-05-17 20.16.18

さて、そんな鈴井さんも40代後半。社長ということもあり、今は若手に開発を委ねるる方向にシフトしてるとか。

やっぱり若い人のセンスは大事だから。ゲームは20~30代がメインターゲットだから、その人たちに合ったものを作らなければならないんです。だからゲーム業界は映画みたいに「巨匠」「重鎮」って存在が薄くて。いま遊んでる人の方が大事なんです

キャリアが役に立たないゲームの世界。鈴井さんもこの業界で25年。「十分やったよね」と思う一方で、まだ終われないという想いもあります。

「25年やってるから仕事を任せます」って会社はないんです。今いい会社にしか仕事は出さないんです。だから大事なのは「今も」いい会社だということ。この世界、古いってことはメリットよりデメリットの方が大きいですから。「常に今が旬」というのが重要なんです

スピードの速い業界で生きていくには、スピード速く生きていくしかないのかも。いやー、かっこいい。最後に広島のゲームクリエイターにメッセージを!

広島ってコンパイル(『ぷよぷよ』を開発)も含め、昔はゲーム会社がたくさんあった街なんです。だからクリイエターが生まれそうな街だと僕は思ってて。学生や若い人でもゲーム作りは難しくないから、自分が思ってるものをぜひ作ってほしいです。そしてもし作ったら自分だけで楽しまず、ひとりでも多くの人に遊んでもらって意見をもらってほしいです。意見をバネに改良していく、そのプロセスが一番大事で。「人にさらされる」「人に自分の内臓をさらけ出す」という過程が重要なのかと思います

スクリーンショット 2021-05-17 21.46.53

2021.5.17 on-line

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?