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お久さん~子母沢寛『勝海舟』

 子母沢寛の『勝海舟』は、昭和16(1941)年10月から昭和21(1946)年2月に渡り、新聞に連載された小説である。NHKの大河ドラマにもなった著名な作品で、この作家の代表作でもある。

 私は勝海舟のファンでもなく、明治維新についても学校で習った程度のことしか知らない。この小説を読もうと思ったのは、10年ほど前に暮らしていた静岡市で、蓮永寺という寺を訪問したとき、たまたま海舟の母・信子の墓を見かけたことからである。

 寺を訪れてからずいぶん月日が経ち、この小説にとりかかったのは3年前、2017年の年末であった。古本で入手したのは新潮文庫の(一)から(三)まで。その後、(四)がなかなか入手できず、読書は中断。最近やっと(五)を読み終え、(六)はこれから、という遅読の有様である。

 全巻通読前に駄文を書き散らすのもいかがなものかとも思ったが、3年経ったところでもあり、今回は海舟の母のことではなく、印象に残った愛妾・お久さんについて書き留めておく。

 お久さんは、長崎の女(ひと)である。容貌については、

「これあまったく美しいおなごだ」(一)443頁

という描写がある。私は竹久夢二の描いた長崎美人を思い浮かべた。お久さんは薄幸の人で、海舟の子を産むが、その子は生まれたその晩に亡くなってしまう。

「お久さんは、五月に子を産んだ。玉のような女の子だったが、別にお産がひどかったというのでもないのに、悲しい事にその晩の中に死んで終った。」(二)60頁

 その後、お久さんは海舟の子・梅太郎を授かり、その子を海舟にひと目会わせようと江戸に向かう途上、京都にて腸チブスにかかり35歳で亡くなってしまう。

 まことに物哀しい一生である。しかし、こういう展開は平凡と言えば平凡である。にもかかわらず、英雄たちの疾風怒涛ストーリーの中では、お久さんの生涯は清冽な印象が残った。
 
 ただ、私の理解を少々超えるのは、愛妾と正妻の関係が極めて良好に描かれていることだ。西郷隆盛、伊藤博文などを見ても、明治の時代、「英雄色を好む」から複数の女性関係は許容されていたのだろう。また、本書が書かれた昭和にあっても、このようなモラル観はまだ受け入れられていたのかも。あるいは、作家自身が英傑に配慮し、敢えて愛憎関係の描写を避けたところもあるのか。

 時代背景の知識が乏しいので、歯切れの悪い説明となり、もどかしい。専門家はそれなりに見解を示せるのだろう。違和感の原因は、現代を生きる私の過去に対する理解の限界から来るものだと思う。

 もちろん、本作品の真骨頂は英雄譚であり、私がここで書いたことは瑣末の類である。

 最終巻は、年末年始に読み進める。勝海舟の母や静岡の話が出てくるのかどうか、興味深い。

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