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退屈を通じて人生を考えるということ
今回書いていくこと
こんにちは、こんばんは、なきおです。
今回は、國分功一郎さんの「暇と退屈の倫理学」について書いていこうと思う。
購入理由
大学の授業で哲学を選択したことがあり、そこで哲学を通じて自分を考えさせてもらい、哲学という学問の良さを少しではあるが知ることが出来た。
この作品を読むことで、さらに教養を深められたらいいなと思い、購入。
また、前から新刊コーナーによく置いてある本で読んでみたいと思っていたから。
商品紹介
答えに辿り着けない人生の問いと対峙するとき、哲学は大きな助けとなる。著者の導きでスピノザ、ルソー、ニーチェ、ハイデッガーなど先人たちの叡智を読み解けば、知の樹海で思索する喜びを発見するだろう。
2011年朝日出版社刊『暇と退屈の倫理学』、2015年太田出版刊『暇と退屈の倫理学 増補新版』と現代の消費社会において、気晴らしと退屈が抱える問題点を鋭く指摘したベストセラー、あとがきを加え、待望の文庫化。
(暇と退屈の倫理学 (新潮文庫) | 國分 功一郎 |本 | 通販 | Amazonより)
感想
・最近退屈で、退屈であることがいやであると感じたためこの本を読む前までは退屈に全くいいイメージを持っていなかった。
ただ、読んだ後退屈はむしろあっていいし何もないなら一日中家にいることがむしろ正しいのではないかと思わされた。
なぜなら、無駄なことで悩まなくてよいからだ。
・生産者が消費者に「あなたが欲しいのはこれなんですよ」と語りかけ、それを買わせるようにしている(p24)
この一文を読んだとき、最初は何を言っているかがよくわからなかった。
ふつうに考えたら、消費者が自ら自分の欲しいものを選び買っている。それが今の消費社会なのではないか、と思っていたからである。
だが、先を読んでいきもう一度この文章を読んでみると良く分かった。
例えば、最近ではサブスクという
’本やCDといった商品にお金を支払って買うのではなく、一定期間にわたってサービスを使う権利を得る「利用料」を支払う方式’’が登場し、そのシステムが流通している。
そこで僕らは、本当に観たいものを見ているのではなく、生産者が僕らにおすすめをしてくれ、観る。というケースが多いと思う。
このケースでは僕らの意思よりも彼ら(消費者)の意思の方が強い。
こんなに身近に’買わされる’消費があると気が付いたときにはゾッとした。
僕らはほんとうに暇の使い方を知らないのだと。いうまでもなく自由な生活などないのではないのかと。
そう思った。
最後に
・最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
また、よろしくお願いします。
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