映画「ミッドナイトスワン」ー母性について考えるー
2020年の映画、Netflixで配信され、旦那さんにお勧めされて観ました。
まだクライマックスじゃないでしょ、という序盤から涙が止まらなくて、心の奥底に響いて、響きすぎて。
この想いを表現しないわけにはいかないと(誰に?)ずっと熱い気持ちがぐつぐつしていて、ブログに綴りたいと思っているのですが、この熱気のまま、まずはnoteに綴ってしまいます。
この映画はトランス ジェンダー(持って生まれた体の性が、心の性と一致しない。この、自身の体の性に対して違和感を持つ人のこと)の映画と言われたりしています。
でも、私にとってはこの映画は「母性」の映画でした。
母性が芽生え、母性に苦しみ、母性を求める…。
それをここまで繊細に、心の奥底に届くように表現された監督はじめ、俳優さん、映画に関わった全ての方に敬意しかありません。
母性ってなんだろう。
今、こうして4人目を妊娠している私。
女性として生まれ、子どもが出来たらなおさら、母性は勝手に芽生えるような印象すらあります。でも、そんなこと「ない」のは世の中を見れば明らかで、自分自身に対しても同様。母親とか、子どもの数も関係ない。
そんな一般的なカテゴリーに属していない、この映画の主演、凪沙(演:草彅剛さん)はある時から母性が溢れていく。
母性ってただの愛のように思います。
でも、それは諸刃の剣のようでもあり、愛と復讐心が隣り合わせでもあるように、母性が溢れすぎるとそれは相手にとっては求めていない苦しめるものにもなる。
もう1人の主演の一果ちゃん(演:服部樹咲さん)は本当の母が母性が欠けていて、それに苦しんで、でも、母性という愛でつながった凪沙が「あなたのため」と自分の人生を我慢して一果に投影した時、また歪みが生じて…。
私も母親となり、無関心なのはよくないというのは痛感しています。でも、関心がある=母性なのか、と問われればそこもとても危うい。
関心を持ったと思い、自分の人生を放棄し一方的になると母親としての役割を全うしているような感覚に陥る。でも、それは時に無関心より相手を苦しめることになる。
この映画は、そんな母と子の関係も描かれています。一果の友人のりんちゃん(演:上野鈴華さん)と母親(演:佐藤江梨子さん)がまさにそんな関係。
このりんちゃんが凄くよかった。よかったというか、とにかく苦しかった。
人は誰もが愛を求めて、足りないと補おうとして、でも満たされなくて、その狭間でもがいて、でも正当化したくて、でも、ふとその自分に向き合った時に、強烈な劣等感に支配され、その瞬間の自己否定に支配されてしまうこともあるのだと思います。
劇中のりんちゃんの、一果に対する気持ちは友情を超えた、愛となったように感じていました。だから苦しくなる。
彼女が愛に触れ、自分に絶望したような、そんな感情が溢れた最後のシーンは私の中で最も涙が止まりませんでした。
エーリッヒフロムも「愛するということ」の著書の中で、母性の愛についての危うさを語っています。以下のブログで紹介していますが、ピックアップします。
人は誰もが間違える。私もこうして4人目を妊娠しているのに、今だに同じところに戻って、退化していて、そんな自分を感じたくなくて、直視したくなくて、責任を自分以外に向けてしまう。
でも、その時に、そんな自分をだめだと言ってくれる存在に、結局は救われている。それが旦那さんなんですけどね。でも最も憎しみをぶつけていることも事実。
映画から話が逸れましたが、本当に素晴らしい映画でした。人の内面を、これほどまでに繊細に描いてくれて、それでいて楽しませてくれて。映画というものの底力を感じました。
また話が逸れますが、この映画は草彅剛さんの演技力に誰もが感服されると思いますが、それとは別に、私はSMAPの中で「恋愛対象としては草彅剛さん」と思っていました。そんな私の趣味なんてどうでもいいのですが、その理由を占星術的に旦那さんが解説しています。
この映画は人間の内面を描いてくれている映画。
私は自分自身の内面の葛藤も隠したくないと今は思っていて、それを語ることで、誰かにも響くのかもしれない。というよりも、今の私にはそれしか出来ない。
人の内面にフォーカスする、タイムウェーバーセッションをやらせてもらっています。
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