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教会に通う習慣ができて、変わったこと、よかったこと

私は、この記事をこの典礼聖歌を聞きながら書いている。

先に言っておくが、このあと「異端」つまり正統派ではないとカトリックとプロテスタントのひとが言っている宗教の名前を出しているが、彼らを悪く言うつもりはない。ご了承ください。

割とよくこの曲を自分の教会でも歌っている気がする。ふとしたときに思い出すメロディーだ。

日本にいる人口1%のクリスチャンのひとりとして、私は残りの人生を生きていくことになる。日本では、圧倒的に少数派として、「宗教って怖いんでしょ」といったイメージがいまだに根付いているこの国で生きるということは、必然的に、いくらかの場面では肩身が狭くなることもある。たとえば、神社やお寺に行くことができない理由を説明しているときには、「エホバの証人のひとってこんな気分だったんだなあ」と思うことがある。

補足: エホバの証人は、いわゆる「異端」で、正当なクリスチャンではないとされている。そして、彼らの教義では、神社仏閣に行くのはいけないことだとされているため、修学旅行などで問題になるらしい。私の場合は、キリスト教が一神教であることから、他の宗教の神様のところに行くのはあまり良くないと自主的に制限しているだけで、実際には行くことを許容するクリスチャンは多いと思っている。なお、私の通っている大学は、割と留学生が多いし、彼らはそこまで抵抗を示さないので、割と部活などで神社仏閣に行く機会が多い。

日本の人口の1パーセントはクリスチャンだという。プロテスタントとカトリックが大多数を占める。中には正教会を信じているひとも一定数いる。私は、カトリック教会で2024年の復活徹夜祭のなかで洗礼を受けた。

毎週日曜日は、教会のミサに行き、1時間をそこで過ごす。

不安になったときには、「主の祈り」を唱えて過ごす。

神父さんからもらったロザリオ(簡単に言うと、数珠のキリスト教バージョン)を使って祈ったり、聖書を読んだりする。

そういったことが、この半年近くの間、日常となっている。

私は昔から宗教に抵抗はなく、2016年以降ずっと「いつかはクリスチャンになりたい」と思っていた。親は統一教会(世界平和統一家庭連合: 異端)などのニュースを聞いた影響で宗教を怖がっていたため、「成人したら教会に行ってもいいよ。成人したら自己責任だからね」というスタンスだった。

そうすると、不安なときに頼れる手段があることのありがたさを覚える。教会に行くと、自然とこころが安らぐし、ほっとする。

神父さんは、「1週間の疲れを全て祭壇に投げ出してください」と言っている。ほんとうに楽になるので不思議なものだ。信仰心のない、キリスト教のことをあまり知らないひとでも、観光などで教会に入ると落ち着くと語るひとがいるが、それの延長線上にあるものだ。

私は、神社仏閣に行かないと書いたが、キリスト教を信じるようになって、他の宗教のことに関心を持つようになり、より尊重したいと思うようになった。

私がキリスト教を信じていて、救われているように、ほかのひとも同じような感情を抱いているのだと思うと、コーランなどにも抵抗がなくなってくる。コーランは、アラビア語以外で書かれたものは正式なものではないと言われているから、日本語翻訳されたものを読んでもそれは正式ではないということらしいが、いつか読んでみようと思っている。仏教の本である「歎異抄」なども、難しい本だが、生きる目的について彼らなりの考えていることが書いてあるらしく、読んでみようと思っている。

私にはお金がないので、ほしいほんを我慢しないと買えないのだ…。学生はつらいよ。

調べていたら、こんなサイトが見つかった。私はキリスト教以外には疎いので、これが異端なのかはわからないが、純粋に面白そうだと思った。

この生きていくのが厳しい世界で、真面目に生きようとするとこころが折れそうな世界で、救ってくれるものがあるならなんでもいいと思っている。

殺人や自殺などの選択肢は、取り返しのつかないものになるから慎重に考えるとしよう。(殺人だって、尊属殺人が撤廃された理由の裁判など、過酷な性虐待の例を見ると、正当化はできないものの、頭ごなしに否定してしまえなくなる)

ただ、たとえば手首を切ったり、薬を多量に飲んだりということも、苦しみを減らして、すこしでも楽に生きられるようになるための選択肢のひとつかもしれないし、それを否定するつもりはないが、もっと健康的な選択肢があるならそっちのほうがいいだろう。

私の場合は、語学学習、なにかを書くこと(だからこうやってnoteを続けられている)、そしてキリスト教の信仰が私を支えてくれている。

そういったものの頼る先は、多いほうがいいし、健康な方法であればそのほうがいい。

キリスト教に出会う前の私もそれなりに幸せだったが、また別の尺度で幸せだと感じることが増えた。それが洗礼から2か月くらいが経とうとしているいまの、正直な感想だ。

教会は怖いところじゃないし、献金も自由だし、少額だから、安心してきてほしい。教会は誰でも入れるし、神父さんと話をしてみたかったら、そうすることもできる。誰もを受け入れる場所が、教会だ。興味を持っているひとがいたら、ぜひ教会に行ってみてほしい。

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