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【うつになった大学生】    書きたい文章を書く時間  

「朗読は詩を語り直す作業だから」とある人は言った。

それはわたしの語りかもしれないし、他者の語りかもしれない。

声に出して言葉を読むのは良いなと思う。

世の中には、声に出して読みたくなる言葉があるし、声に出すことで言葉の世界は拡張される。

さらにそれは、音階やリズムを持つことで、また違った語りを生み出していく。

いつからだろう、梅雨に「しとしと」が似合わなくなったのは。

午後から激しいゲリラ雷雨に見舞われた日、空には雷鳴が轟いていた。

何もすることがない病院では、稲妻が花火に見えた。

みんなで窓際に集まっては、稲光が走るたびに声を上げて喜んだ。

それくらい、病院の中ではやることがない。

今日、急性期病棟から慢性期病棟に転棟になった。

依存症の治療を専門に行う病棟。

シェアハウスみたいに毎日他の患者さんたちと遊んでいたし、看護師さんにも良くしてもらっていたので、お別れはとっても寂しい。

それに、また新しい環境で関係を作り直さなければならないと考えると、緊張と不安でずっとお腹が痛い。

だから、そんな気持ちを少しでもなだめてあげるために文章を書いている。

一人でいると、よくない考えが反芻してしまって、どうしようもない心情に陥ってしまうので、なんとかそこから抜け出して、冷静に感情と対峙する。

今のわたしにとって文章を書くとはそういう意味も持っている。

この感情を書き留めておかなければという想いと、言葉にしてみることで反芻から抜け出す糸口にしようという想いで文章を書く。

やっぱり、文章を書くことは、とことん人と向き合うことなのだろうと思う。

今は自分と向き合う時間。

でも、他者の語りを聞くことは、目の前のその人と向き合う時間にもなる。

他人と向き合いながら、他人のまなざしを通して自己とも向き合う。

人生はその繰り返しで、広く深くなっていくのだろうと思う。

今日は久しぶりに書きたい文書を書くことができた。

いつも同じようなことばかり書いているようだけれど、やっぱりその日の体調によって書ける文章と書けない文章がある。

こういう文章を書けるようになってきたということは、また頭が回るようになってきたということなのかもしれない。

ちゃんと退院はできるから、焦らず、と自分に必死に言い聞かせている。




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