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中立性

 小学生時代、調べ学習の時間が割と好きだった。
 教科書をベースに展開する通常の授業とは違って、自由度が高い。社会科科目が好きだったこともあり、それを自分好みに掘っていけるのを楽しんでいた。
 調べ学習の時間だけは、気兼ねなく先生に質問ができたことも、大きい。明確な答えが決まっている問題については、解法を理解できていないことへの羞恥心から、質問ができなかった。が、調べ学習の場合は、ときにまだ答えが定まっていない問題を取り上げることもある。そういう問題にまつわることであれば、不思議と積極的に質問をすることができた。

 調べ学習時の先生への質問で、一つ印象に残っているエピソードがある。
 あれは確か、地域の清掃活動(ボランティア)について調べ学習をしている時だったと思う。小学生なりに調べて集めてきた、清掃活動に対する幾つかの意見を、どう一枚の紙の上に収めようかと悩んでいるときに、二人の先生に次のような質問をした。

「調べて分かった意見は、すべて紹介した方がいいですか」

 これに対する二人の先生の答えは、各々スタンスの異なるものだった。

A「大切なのは、〇〇さんがどの意見に賛成なのかを、まとめることだよ」
B「調べて分かった意見は、できるだけ平等に紹介することが大事」

 この二つのアドバイスを受けて、当時の私はびっくりした。
 それもそのはずで、これをいつもの授業に落とし込めば、ある文章問題に対して、先生二人が異なる解き方を教えて、下手をすれば、出てくる答えも違ってくる……こんなことは考えられなかったからである。
 結果的には、私はA先生のアドバイスに従って、自分が賛成できる意見を中心に調べ学習を進めていった。

 大人になって、このエピソードを振り返ってみると、ここでは「中立性」が問題になっていたことが分かる。
 B先生の立場は、多くのマスメディアが採用する「両論併記」の方針であり、あらゆる意見を対等に記事上で紹介することを旨とする。

「人間はみな各々に偏向している。多様に偏向してこそ人間であり、そこに生まれる齟齬と苦しい折り合いこそが政治だ。対するに中立とは一種の意見放棄・議論放棄であり、臆病者の逃避、無知者のだんまりである。世論調査のグラフに表れる「どちらともいえない」という項。あれが「中立」だ。」
諏訪哲史『うたかたの日々』風媒社、P220)

 引用したのは、作家・諏訪哲史による「中立」論。調べ学習エピソードをまとめる際には、ぜひ紹介したいと思っていた文章である。
 語気の強さは措くとしても、ある一つの立場を表明し主張を展開するよりも、「どちらともいえない」という立場をとった方が、苦慮せずに事を穏便に済ませられる。つまり、相対的に楽ができる。
 上記の引用文を、アドバイスをくれたB先生に見せたら、どんな反応をするだろう。さすがに私も、B先生のアドバイスの中に「臆病者の逃避、無知者のだんまり」の要素を見出すことはできない。

 ここまで長々と「中立性」について考えるきっかけを与えてくれた両先生には、心から感謝している。



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