理屈っぽい
世間には、とにかく早く結論を聞きたがる人がいる。
こちらが順々に説明していると、途中で割り込んで「で、結論は?」とくる。結論だけ聞いてもその正否を判断できないだろう、と思うのだが、結論にいたるプロセスを確認する余裕はないようだ。
ひどい場合だと、結論が早く出ないことに苛立って、「〇〇は理屈っぽい」と非難されたこともある。どんだけ短気なんだよ……と呆れたが、相手しても垨があかないと思って、スルーした。
結論を早く求める人には、話に秀逸なオチを要求する人も少なくない。「で、結論は?」と同じノリで「で、オチは?」とくる。
私は落語家ではない。そんなにオチが見たければ、寄席にでも行ってくれ。
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少しでも真意が伝わるよう丁寧に説明を重ねると、時々言われる「理屈っぽい」という評価。
この言葉について、作家の大庭みな子が興味深い指摘をしている。
相手の主張の正否に関係なく、議論を封じ込められるという点で、たしかに「理屈っぽい」という言葉は大変便利な表現だ。
懇切丁寧に説明しようとする誠意を、いとも簡単にへし折ることができる。
言われた側は、その場限りで口を噤むだけでなく、今後のコミュニケーションにおいても、ゆっくり丁寧に説明することを躊躇うようになるかもしれない。言葉の影響は続く。
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言葉は、それを向けられた側の言動を縛るとともに、それを発した人間の思考を停止させることもある。
相手の主張に耳を傾け、その内容に疑義があるなら、具体的に示して問う。その流れを面倒がり、「理屈っぽい」の一言で片付けることに慣れてしまえば、何も身につかないし、何も生み出せない。残るのは、中身のない優越感だけである。
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