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理屈っぽい
世間には、とにかく早く結論を聞きたがる人がいる。
こちらが順々に説明していると、途中で割り込んで「で、結論は?」とくる。結論だけ聞いてもその正否を判断できないだろう、と思うのだが、結論にいたるプロセスを確認する余裕はないようだ。
ひどい場合だと、結論が早く出ないことに苛立って、「〇〇は理屈っぽい」と非難されたこともある。どんだけ短気なんだよ……と呆れたが、相手しても垨があかないと思って、スルーした。
結論を早く求める人には、話に秀逸なオチを要求する人も少なくない。「で、結論は?」と同じノリで「で、オチは?」とくる。
私は落語家ではない。そんなにオチが見たければ、寄席にでも行ってくれ。
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少しでも真意が伝わるよう丁寧に説明を重ねると、時々言われる「理屈っぽい」という評価。
この言葉について、作家の大庭みな子が興味深い指摘をしている。
「「理屈っぽい」という言葉があるが、これは原因を考えたり、理論を追おうとする思考方法に対して好意的でない文化の中から生まれた言葉である。「理屈っぽい」という表現の中にはなんとなく非難の響きがあるし、そういうことを拒否しようとする"だれか"の意志が感じられる。
つまり、原因を突きとめられたり、理由を問いただされるのをいやがる人がつくった言葉である。たとえば、世の中にいろいろと不合理なことがあって、どうしてそうなっているのかを突きとめようとすると「理屈っぽい」などと言われる。つまり、なんとなくうやむやにしておくことを美徳だとすることで、平穏無事を保っている人がいるということだ。」
(大庭みな子・文、小池真理子選『精選女性随筆集 宇野千代 大庭みな子』文春文庫、P153)
相手の主張の正否に関係なく、議論を封じ込められるという点で、たしかに「理屈っぽい」という言葉は大変便利な表現だ。
懇切丁寧に説明しようとする誠意を、いとも簡単にへし折ることができる。
言われた側は、その場限りで口を噤むだけでなく、今後のコミュニケーションにおいても、ゆっくり丁寧に説明することを躊躇うようになるかもしれない。言葉の影響は続く。
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「国語というものは、その国の長い間の伝統や文化を背後に持っているもので、国語はその国語を使う人々の思考方法まで左右する。だが、国語のすべての表現に盲目的に従順である必要はない。」
(大庭みな子・文、小池真理子選『精選女性随筆集 宇野千代 大庭みな子』文春文庫、P154)
言葉は、それを向けられた側の言動を縛るとともに、それを発した人間の思考を停止させることもある。
相手の主張に耳を傾け、その内容に疑義があるなら、具体的に示して問う。その流れを面倒がり、「理屈っぽい」の一言で片付けることに慣れてしまえば、何も身につかないし、何も生み出せない。残るのは、中身のない優越感だけである。
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