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呼吸

 読書を長く続けるモチベーション、を時々訊ねられることがある。
 人によっては、「この人、よく飽きずに本読んでるな……」と疑問に感じるのだろう。
 訊ねてくださる方に共通しているのは、読んで得た知識なり感動なりを“どうするか”への関心である。本を読むのは楽しいし、勉強にもなる。でもその先”どうするか“を考えると、ピンとこない。もっと有意義な時間の使い方があるのではないかと思ってしまう。

 ”どうするか“への対処法は、読んで得た知識なり感動なりを気軽に発信できる場所を作る、これに尽きると思う。SNSでもブログでも動画投稿でもいい。とにかく本を読んだら、その感想なり疑問なりを、自分の言葉で発信する。この作業を習慣化できれば、”どうするか“へのモヤモヤが薄まっていく可能性は高い(少なくとも私はそうだった)。

 上記の意見に関して、もっと分かりやすく説明できないかなーと感じていた矢先、ある画家の著作の一節に目が留まる。

「自己発表のみ慌しい時代は吐くことばかりで最早喘いでしまってはいないだろうか。それかと云って、吸うことのみに没入すれば、沈滞に堕するであろう。呼吸の調和こそ人体にあっては欠く可らざるものであり、画業においても呼吸の一致なくして健康な作品は得られない。」
『速水御舟随筆集 梯子を登り返す勇気』平凡社、P128)

 呼吸……何と的確な表現だろう。今度誰かに話すときは、この言葉を拝借したい。
 どれほど新鮮な空気であっても、吸い込み続けるのには限度がある。適度に吐き出さなければならない。それと同じで読書も、ある程度の量をこなしたら、そこで得たものを外に出す機会を設ける。そうすることで、入れる⇨出す⇨入れる⇨出す⇨……の好循環が生まれ、読書を積極的に続けていくことが可能になる。

「梯子の頂上に登る勇気は貴い、更にそこから降りて来て、再び登り返す勇気を持つ者は更に貴い。大抵は一度登ればそれで安心してしまう。そこで腰を据えてしまう者が多い。
 登り得る勇気を持つ者よりも、更に降り得る勇気を持つ者は、真に強い力の把持者である。」
『速水御舟随筆集 梯子を登り返す勇気』平凡社、P147〜148)

 読書は続ければ続けるほど、何が「分かっていない」のかがクリアになってきて、さらに学ぶべき・学びたいことが増えていく。
 梯子の例を用いれば、常に登り降りを繰り返している感じだ。梯子の数も一種類ではなく、無数に我々の前に待ち構えている。
 この梯子の登り降りに夢中になると、時間はあっという間に溶けていく。読書に飽きるとか飽きないとか、そんなことを考える余裕はない。



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