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補完作業

 ある一つの小説を肴に、友人と感想を語り合っていると、時々「ほんとに、同じ本の話してる?」という食い違いが起こることがある。
 それは、著者が読者に伝えたかったこと、といった物語全体に関わるものだけに限らず、ある登場人物の性格、といった細部に関するものまで、様々だ。
 どうしてこのような「食い違い」が生じるのだろうか。

 その原因を解析する上で、一つ便利な視点がある。
 巷では『読んでいない本について堂々と語る方法』の著者として知られる、ピエール・バイヤール。彼が、『シャーロック・ホームズの誤謬』の中で詳しく語っている視点が、それだ。
 該当箇所を、次に引用してみたい。

「人は本を読むとき、全面的とは言わないまでも部分的にテクストの欠落を補っているはずだ。こうした補完作業はーー主観的な閉鎖と言ってもいいがーー描写だけでなく、登場人物の思考や行動の欠落についても行なわれている。どれだけ正確で、意識的なものかは読者によってさまざまだが、補完作業がなくなることはない。それゆえひとたび表面的な合意が失われると、同じ本の読者同士でも現実的な意思の疎通ができなくなる。」
ピエール・バイヤール著、平岡敦訳『シャーロック・ホームズの誤謬』東京創元社、P85)

 読者が本を読むときに、自然と行っている「補完作業」。ここに、「食い違い」が生じる原因の一部が見出せる。
 登場人物の一人が、ある言葉を口にする。読者はその言葉及び語り口から、一つの性格を類推する。「こういうことが言える人は、〇〇なやつに違いない」というように。そこでは、本文の中で、登場人物の性格が直接言明されているかどうかは問題にならない。すべては読者の側に委ねられている。
 多くの著者は、この読者の「補完作業」に助けられている。あらゆる場面を精細に描き切ることはできない以上、不足している箇所は読者の側で埋めてもらうほかない。もちろん、著者がこの「補完作業」を意図的に利用して、物語を仕上げる場合もある。「ミスリード」を狙うミステリーの作品群は、その典型例である。

 こういう風に見ていくと、ピエール・バイヤールが本文の中で述べているように、たとえ同じ本であっても、ひとたび各々の読者の手に渡ってしまえば、「もはや同じ本ではない」のかもしれない。




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