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丁寧

 本棚の整理をしていると、面白い発見がある。
 今はスマホのアプリに移行したが、かつては白紙に読書メモをしていた時期があり、読了したらそのメモを本に挟んで、棚に戻していた。
 ということは、手書きメモの有無によって、読書時期が分かる。
 数年前に書いたメモなど、当然覚えていないから、校庭に埋めたタイプカプセルを開けるような気持ちで、メモを読むことになる。

 メモ紙の挟まった『室生犀星詩集』を、ある書店の袋から発掘した。
 おそらく持ち歩き用に袋に入れて、そのままにしたのだろう。こういうことを私はしがちである。

「本当に手をとりあふこと
 さらけ出しあふこと
 苦しみ合ふことは楽しみだ
 これが美の極だ
 私の詩を愛する人人は
 私どもに近い悩みを悩む人でなければ
 苦しみを汲みわけてくれる人人だ
 私のゆく道は万人のこない道だけれど
 自分によくにた宿命を負つた人の来る道だ
 耐へ忍んだ悲しみに
 いつも満眼の心持を
 あふれ輝やかす人人だ
 その魂こそわたしの友を呼ぶ声に答へる
 やさしい慰めをもたらして来てくれる」
福永武彦編『室生犀星詩集』新潮文庫、P94〜95)

 上記の詩だけは、本を開かずとも、収録されていることを覚えていた。この本を手に取った当時、「詩」に苦手意識があったが、「少しだけ好きになれるかも」と思わせてくれた作品でもある。

「ひげはいくら剃つても生えて来る。
 六十年剃つても まだ生えて来る。
 生きてゐて絶えることを知らない。
 けふこそ 叮嚀に剃らう、
 きのふよりもゆつくり念を入れて。
 それは毎日の思ひだ。
 思ひははかなく続く
 だがひげは生えて来る。
 山にある草よりも早く。」
福永武彦編『室生犀星詩集』新潮文庫、P249)

 次に引いた「ひげ」という詩については、何となく覚えていた。「これを元にメモることもあるまい」とメモ紙の方を覗いてみると、予想に反してメモが残されている。

「明日からひげ剃りも丁寧に! P249」

 誰に向かって呼びかけているのか。まあ、自分自身に言いきかせていると考えていい。
 メモをした後、私は実際にひげ剃りを丁寧にしたのだろうか。「→実践済み!」とでもメモがあれば最高なのだが、そんなに都合よくはいかない。
 過去の自分に、少しだけ笑わせてもらった。「ありがとね」と呟いて、『室生犀星詩集』を本棚になおす。



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