在野研究一歩前(27)「読書論の系譜(第十三回):宮武南海「○讀書の心得」(東京學舘編輯『学海燈影 一名 学生必読』東京學舘獨修部、1893)③」
前回に引き続き、東京學舘編輯『学海燈影 一名 学生必読』(東京學舘獨修部、1893)中の「宮武南海「○讀書の心得」」を取りあげたいと思います。
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「第三、一書を讀み畢らざれば決して他書を讀み起す可らす既に一書を讀み畢ると雖も書中の意義を悉く解了せざるうちは決して他書を思想す可らず手に任せて書を飜し此處を讀み他處を看ること其弊害擧げて言ふ可らす抑も一時に幾種の書を看るは心思を衰弱せしむるものなり睡臥に優ること幾許もなく唯だ に一髪の間に在るのみ讀書の散漫なるは懶惰中の最も甚しき者なり人をして勢力を失はしむるもの焉れに過ぐるはなし左れば有名なるハーバート、スペンサーの父甞て人に語て云へることあり余兒に敎ふる他術なし唯だ盡く一書を解了するの後に非らざれば乃ち他書を與へざるのみ其他敢て世の敎育と異るものなしと蓋し此の敎育法其宜きを得て以て絶世の大儒を作出したるものなり後の學生たる者夫れ宜く鑑むべきなり」(P14)
⇒三つ目の心得は、「一冊を理解してから、次の書へ」である。一冊を十分な形で読み終えることなく、いろんな本に手を出す行為に批判が向けられている。
「第四、社會の事物瑕瑾有るもの未だ必ずしも賤しからず其瑕瑾無きもの未だ必ずしも貴からず故に珊瑚樹は瑕瑾有るも亦其珊瑚樹たるの價値を失はず練玉は瑕瑾無きも亦其練玉たるの價値を登らず此理著書の間に見る可きもの往々之あれば讀者は其瑕瑾有るが爲めに良書を失ふこと勿れ又其瑕瑾無きが爲めに愚書を重んじ過ぐること勿れ之を要するに先づ某書は價値あるや否やを問ひ而して後其瑕瑾の有無多少を云ふ可きことなり是れ讀者の最も緊要の心得なりとす豈に夫れ忽せにす可けんや」(P14)
⇒四つ目の心得は、「「瑕瑾」(欠点、短所)とどう向き合うか」に関するもの。一般的に人びとが社会の事物と向き合うとき、そこに少しでも「瑕瑾」があると、評価を(極端に)下げる傾向がある。
この傾向に宮武南海は疑義を呈する。例えば、ある書物の中に幾つかの「瑕瑾」があったとしても、その本全体の価値が否定されるわけではない。つまり、「瑕瑾」があったとしても、「良書」たりうるということである。加えて、「瑕瑾」が無い本であっても、「良書」でないことがある(「愚書」であることがある)。よって、「瑕瑾」の有無によって、「ある本」の価値が決定されることはないのである。
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以上、①~③を通して、宮武南海が示した「読書」の心得を四つ示した。
最後に、その四つを簡単に纏めておく。
一、他のものごとに触れながら、読書をするな! 読書に一点集中!
二、著者名に左右されない読書を!
三、一冊理解してから、次の書へ!
四、一つの欠点があっただけで、本全体の価値が下がるわけではない!
以上で、「在野研究一歩前(27)「読書論の系譜(第十三回):宮武南海「○讀書の心得」(東京學舘編輯『学海燈影 一名 学生必読』東京學舘獨修部、1893)③」」を終ります。
お読み頂きありがとうございました。
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