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印象

 ときどき、Twitterの検索欄に「鴨川」と打ち込んで、投稿された写真を見る。
 日頃見慣れた鴨川が、様々な視点から撮影されるのを見るのは面白い。撮る角度や時間帯が変わるだけで、鴨川は違った表情を見せる。

 鴨川にも日常と非日常がある。もちろん、あくまで人間目線だが。
 水面を移動するカモはよく目にするが、河川敷を移動するオオサンショウウオはめったに見かけない。河川敷に腰掛けて話すカップルはよく目にするが、某SF映画のコスプレをした二人が話しているのはめったに見かけない。
 とはいえいずれの風景も、鴨川が生活圏内にあると、目にする機会がある。その機会に立ち会うと、どうしても撮影して記録したくなる。
 水面に浮かぶカモについては、何度撮影したか分からない。一度も謝礼を支払ったことがないから、申し訳ない気持ちでいる。せめてものお礼ということで、鴨川・河川敷に捨てられたゴミを拾い集めることはあるが、十分とは言えない。カモには癒しも貰っているから、感謝してもしきれない。

 先日手にした、写真家・菅原一剛の『写真がもっと好きになる。 改訂版』(インプレス)という書籍にも、鴨川の写真が一枚収められていた。
 時節は、春。夕暮れどきの鴨川に、河川敷に座る人々と桜の木がうつっている。まわり道によってたまたま出合えた風景だったようで、著者は感動している。私はその心の動きに、強い親近感を覚えた。

「もしかしたらカメラにとって、一番大切なことは、"印象"という、どこかとてもあいまいな感覚の片鱗が、少しでも、一枚の写真の中に写っているかどうか。より高明細に、きれいに写すということではありません。そしてそれは、そのときの光にも大きく左右されます。だからこそ、光そのものの存在を、多少なりとも知っておくことは、写真を撮るうえで、とても大切なことのひとつになるのです。」
菅原一剛『写真がもっと好きになる。 改訂版』インプレス、P240)

 Twitterで「鴨川」の写真を見ているときにも、印象に残るのは必ずしも高明細な写真ばかりではない。たとえブレていたとしても、撮影者の気分や高揚が伝わってくることがある。
 ある種のブレは、撮影する対象に動きがあることも伝えてくれる。川は流れており、カモは泳いでいる。河川敷を走る人がおり、立ち止まって伸びをする人がいる。鴨川の風景が、様々な「動き」によって成り立っていることを伝えられたならば、その写真がブレていてもかまわない。菅原一剛の言葉を借りれば、「写真は、決して止まっていない」(P80)のだから。

「写真というものは、フィルムであろうが、デジタルであろうが、スマホであろうが、どんな方法をとろうとも、つくづくきわめて主観的で、それでいて客観性に富んでいて興味深いものなのだと、この時代になって、今さらのように感じている。おそらく「ものを見る」という行為そのものが変わるわけではないからだと思う。」
菅原一剛『写真がもっと好きになる。 改訂版』インプレス、P254〜255)

 撮影することも、写真を他者と共有することも、ともに容易になった時代、写真の持つ主観・客観の両面は、より強く意識されるようになった。
 同じ「鴨川」であっても、見る人によって受ける印象は異なる。考えてみれば当たり前のことを、私は投稿された「鴨川」の写真を通して、日々感じ取っている。



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