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美食家・北大路魯山人が愛した洛北深泥池の蓴菜|偉人たちの見た京都

偉人たちが綴った随筆、紀行を通してかつての京都に思いを馳せ、その魅力をお伝えする連載「偉人たちの見た京都」。第11回は、美食家・北大路魯山人と洛北深泥池の蓴菜じゅんさいを取り上げます。京都で生まれ、書に絵画、器など、マルチな才能で一世を風靡し、東京・赤坂の会員制料亭「星岡茶寮」では顧問兼料理長を勤めた魯山人。彼が愛した故郷の味・蓴菜とは──。

 北大路魯山人(1883~1959)ほど幅広い分野で卓越した才能を発揮した芸術家は、近現代では他にあまり例を見ないでしょう。そのスケールの大きさは、没後60年以上経った今日、ますます評価が高くなってきています。
 
 魯山人とはどのような人物なのか。あまりに巨大で全貌を簡単にはつかめませんが、彼の残した文章をまとめた『魯山人味道』(中公文庫)ではこのように紹介されています。
 
「明治十六年、京都上賀茂の社家に生まれる。本名房次郎。独学、独習にて書・篆刻てんこく*・絵画を志す。大正期「美食倶楽部」「星岡ほしがおか茶寮さりょう」を創業。使用する一切の食器(陶器・漆器)を創案制作。以後ひたすら陶芸に没頭。昭和三十四年十二月死去。」

*はんこに篆書体の文字を刻むこと

北大路魯山人 写真提供:宮島「北大路魯山人」美術館

 書や絵画から始まり、晩年は陶芸家としても名声を博した多芸多才の芸術家・魯山人ですが、彼が終生変わらず追い求めていたのが美食です。自らも料理人として包丁を握り、食材の産地や季節、料理を盛る器にこだわりを持ち、料理の世界に革新をもたらすなど大きな足跡を残しました。
 
 文筆家としても健筆を振るった魯山人は、食材に関する数多くの文章を残しています。その中に、1932(昭和7)年に発表した「洛北深泥池みぞろがいけの蓴菜」という随筆がありました。そこで彼は、深泥池で採れる蓴菜を「特別な優品」として激賞しているのです。

 まず、蓴菜という食材について、魯山人の説明を聞いてみましょう。
 
じゅんさいというものは、古池に生ずる一種の藻草の新芽である。その新芽がちょうど蓮の巻葉のように細く巻かれた、ようよう長さ五分くらいのものをしょうがんするのである。その針のように細く巻かれた萌芽を擁護しているものが、無色透明の、弾力のある、ところてんのような、玉子の白味のような付着物である。
 
それはその芽の生長をば小魚などに突っつかれて傷つかないように護る一種の被衣かつぎである。
 
これを水中で見ると、そのかわいい芽が水色の胞衣に包まれている。それは造化の神の教えによって分泌する粘液体である。このぬめぬめの粘液体が厚くじゅんさいの新芽に付着しているために、じゅんさいは美食としての価値がある。この粘液体がなかったら、じゅんさいは別段に美味いものではない。だから、この価値は粘液体の量の多少によって決まる。ところが池沼によって、このところてん袋が非常に多く付着するものと少ないものとある。

 蓴菜はスイレン科に属する多年生の水草です。初夏から秋にかけ、淡水の池沼の浅い水域に葉を浮かべ、暗い紅紫色の花を咲かせます。食用とされるのは茎から出てくる新芽の部分。魯山人は食材としての蓴菜の良し悪しについて、ていねいにわかりやすく解説しています。

深泥池の蓴菜 写真:走り仁(自然愛好家)

そこで、どこのじゅんさいが一番よいかと言うと、京の洛北深泥池の産が飛切りである。これは特別な優品で、他に類例を見ないくらい無色透明なところてん袋が多く付着している。この深泥池のものをびんに詰めて見ると、玉露のような針状態の細い葉が、その軸の元に小さな蕾をつけて、点々と水にまざって浮いているように見える。
 
眺めるものは正味のじゅんさいが少なくて、水中に浮遊しているようではあるが、壜中、水に見えるものが、すなわち粘液体であって、出して見ると海月くらげの幼児の群れのようにぬめるが、水分はほとんどないと言ってよいくらいである。そういうものでなくては、ほんとうに美味いものではない。自分の知っているかぎり、深泥池に産するようなものは余所よそにはないようだ。
 
 深泥池とは京都市北区かみ賀茂かもはざ町に位置し、付近に京都御所から鞍馬くらま寺を結ぶ旧鞍馬街道の走る、周囲約1.5km面積約9haの小さな池です。この池の歴史は古く、氷河期以来の動植物が今も生き続けているといわれ、平安時代の文献にもその名が登場します。
 
 池の名称は「みぞろ(が)いけ」とも「みどろ(が)いけ」とも呼ばれ、統一はなされていません。京都市のWEBサイトでは「みぞろがいけ」、京都市バスの停留所は「みどろがいけ」となっています。
 
 昆虫,魚類,野鳥だけでなく多くの水生植物が生育し、特に蓴菜は深泥池の特産品として愛用されてきたようです。魯山人はよほど深泥池の蓴菜が気に入ったのでしょう。先の文章を発表した翌年、1933(昭和8年)に、わざわざこの地を訪ねています。そのことを記した随筆「探訪たんぽう深泥池の蓴菜」にはこう記してありました。
 
京都上鴨かみがもの深泥池のじゅんさいは、日本で一番いいという話は、かって本誌*にも話したことがあった。今度自分は、京都に旅行したついでに、その深泥池に行って来た。

*魯山人が刊行した雑誌『星岡』のこと

京都に行って様子を聞いてみると、深泥池のじゅんさいは、ちょうど五月一日から採り初めるとのことであった。古くからやかましい深泥池は、四方が山々にかこまれて、深刻な古びた感じのところと想像していたのに反して、ただ反面だけが山で、明るい平凡な池であった。池の周囲は、小一里位*もあっただろうか。

*約4キロくらい

深泥池

 魯山人はここで蓴菜採りの様子を観察します。蓴菜は舟で採りますが、その舟が実に変わった形となっているのです。
 
採っている舟は梯子はしごみたいなものにたらいを載せている。南洋土人でも作りそうな原始的な舟であった。この舟に乗って朝六時頃から夕方頃まで採り通しにしている。時たま舟の中で吸う煙草たばこが無上の楽しみだとのことだった。
 
この池のじゅんさいを採るのに一年に権利金が三百円いる。私が見に行った時の様子では、一日五升くらい採れそうであった。つるを鎌で舟に引き寄せて、右の拇指の爪を非常に長く伸ばしていてヌルヌルの新芽を人差指の上にのせて切り取るのである。
 
 蓴菜採りは、はしご状に組んだ木の上にたらいを載せ、そのたらいの舟に人が乗り込み、鎌と指で採取していたようです。朝早くから夕方まで舟に乗って採り通しであるとしたら相当の重労働。他に息抜きもなく、たまに吸うタバコがこの上もない楽しみという気持ちもよくわかります。もちろん、これは昭和8年の光景です。
 
この池のじゅんさいの中、東京に出て来るのは約二割くらいであった。後は京、大阪辺にさばかれている。東京に出るじゅんさい採りは丸尾といっている。山城やましろ屋に渡り山城屋から茶寮*などでも買い出している。東京に出荷したじゅんさいの五割以上八割まで星岡に費っている。私が池にほかの人の紹介で出かけて行ったのに、先方はよく私のことを知っていてじゅんさいの瓶を二つくれたり、加茂のかき餅をくれたりして大歓迎だった。

*魯山人が率いていた料亭・星岡茶寮のこと

他の国でもじゅんさいは方々で採れてはいる。そういうのは採る時期を誤り採り方が違い、性質もまた異なっていることだと思う。葉ばかり大きくて、例のヌルヌルが少ない。

 深泥池で採れる蓴菜は「飛切り」で「特別な優品」であると、魯山人が惚れ込んだのもこのヌルヌルに秘密があったのでしょう。その蓴菜のうち東京に出荷されるのは2割。さらにその5割から8割は魯山人の星岡茶寮で費やされているとありますから、東京ではほとんど独占状態でした。
 
 ちなみに、星岡茶寮とは東京の千代田区永田町、日枝ひえ神社の横にあった会員制の料亭です。魯山人はこの料亭の総料理長として1925(大正14)年から1936(昭和11)年まで腕を振るっていました。星岡茶寮は1945年に空襲で焼失。その跡地には現在、ザ・キャピトルホテル東急が建っています。

星岡茶寮(明治30年10月発行「新撰東京名所図会」より)

いずれにしても、じゅんさいは日本最高の美食に属するものだと思っている。
 
 ここまで聞けば蓴菜料理、とりわけ深泥池の蓴菜を食べてみたくなるのは当然のことでしょう。

 ところが、深泥池は1988年に「深泥池生物群集」として、池の生物群集全体が国の天然記念物の対象となりました。その結果、深泥池では一切の生物の採集や捕獲が禁じられ、蓴菜採りもできなくなってしまったのです。

蓴菜の料理。かつては京都の深泥池が産地として知られていたが、
現在日本では秋田県で最も多く生産されている。

 また、2002年および2015年に発刊された京都府レッドデータブックでは深泥池は「要継続保護」地形として掲載され、自然環境保全の対象ともなっています。
 
 今でも深泥池には魯山人が愛した蓴菜が群生しています。しかし、私たちがそれを食べることはもはや夢物語。池を見つめる魯山人の姿や、幻の蓴菜の味を想像しながら、野鳥の楽園となった深泥池の周囲を散策してみるのがいいかもしれません。

京都・上賀茂の大田神社近くにある魯山人生誕地の石碑

出典:北大路魯山人『魯山人味道』「洛北深泥池の蓴菜」
    北大路魯山人『魯山人著作集 第三巻』「探訪深泥池の蓴菜」

文:藤岡比左志

藤岡 比左志(ふじおか ひさし)
1957年東京都生まれ。ダイヤモンド社で雑誌編集者、書籍編集者として活動。同社取締役を経て、2008年より2016年まで海外旅行ガイドブック「地球の歩き方」発行元であるダイヤモンド・ビッグ社の経営を担う。現在は出版社等の企業や旅行関連団体の顧問・理事などを務める。趣味は読書と旅。移動中の乗り物の中で、ひたすら読書に没頭するのが至福の時。日本旅行作家協会理事。日本ペンクラブ会員。

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