妻の呼び方、どうしてますか?|齋藤孝が読み解く『学問のすすめ』
私が教えている大学の女子学生たちに、「自分が『嫁』と呼ばれるとしたら、どう思うか」と聞いてみました。すると、半分ほどの学生は「嫁」といわれるのを気にしていない。しかしもう半分は、ちょっと違和感がある。その違和感のある人たちに、「では、どういう呼ばれ方をされたいか」と聞いてみると、多かったのは「奥さん」でした。
実は「奥さん」という言葉も、本来は身分の高い人の妻に対する敬称なので、夫側が自分の配偶者に対する呼び方としてはおかしいのですが、いまの時代では、「うちの奥さんが」といってもおかしく感じない。
では「女房」はどうかというと、もともとは尊い人のまわりで世話をする女性を指しました。ですから、「女房」も「世話をする係」みたいなことでおかしい。それから「かみさん」。これは敬称ですから使いやすい。テレビドラマ『刑事コロンボ』で、「うちのかみさんが」と、コロンボがよく使っていました。
いま「家内」という人はあまりいないかもしれません。明治時代に、男は外で働き、女は家の中を守るので、「家の中にいる人」を「家内」と呼ぶようになりました。「家の中にいる」という役割を押し付けているわけです。
このように、言葉には、時代の感覚の変化によって使われなくなり、代わりに新しい言葉が生まれてくることがあります。女性の権利が向上していく、という大きな時代の流れがあると、女性に関する言葉も、時間をかけて徐々に変化していきます。
妻が夫のことを「うちの主人が」というのに抵抗がある人もいて、これは「主人」と「従者」の関係ではないはずなので、当然でしょうね。しかし、まだ使っている人もたくさんいます。そのように言葉の使われ方は、元の意味の名残を残しつつ、新しい言葉とのバランスを取りながら、徐々に変化していくのでしょう。
女性解放運動で知られた平塚らいてう(1886-1971)が明治44(1911)年に雑誌『青鞜』を発刊したときに、同人の一人である歌人、与謝野晶子(1878-1942)が「山の動く日来きたる」で始まる「そぞろごと」という詩を、宣言として寄せています。「山の動く」というのは「女性が動き出す」ということなのです。このように、女性の権利を拡張するフェミニズム運動といえるものが、当時にもありましたが、その後長い間、こうした考え方や運動は押し込められてしまい、そして戦後を迎えたのです。
かつての見合い結婚でも、家ですすめられれば、「そんなものか」と結婚したような雰囲気がありました。女性は、結婚という大事な人生の選択でも、自分の意思ではなく結婚し、またあまり離婚もしないで人生を送ってきたのです。現在ではちょっと測りがたい、ある種の安定というものが、そこにはあったのかもしれませんが、両性の意思が重要なのは憲法にある通りです。
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男尊女卑の色濃い明治の時代に、男女平等の大切さをはっきりと訴えていた福澤諭吉。『学問のすすめ』にはそうした先進性が随所に散りばめられています。ぜひ本書をご覧ください。
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