見出し画像

くるまえび博士の〈地球〉~山口県山口市秋穂|へうへうとして水を味ふ日記

台湾と日本を行ったり来たりしている文筆家・栖来すみきひかりさんが、日本や台湾のさまざまな「水風景」を紹介する紀行エッセー。海、湖、河川、湧水に温泉から暗渠あんきょまで。今回は、クルマエビ養殖発祥の地である山口市の秋穂あいお地域を訪れます。

連載「へうへうとして水を味ふ日記

クルマエビの交尾についてご存じだろうか。

夜行性のクルマエビは、昼間は砂にもぐっていて、暗くなると砂のお布団から這いでてエサをもとめ遊泳する。そして、異性と出会う。メスのクルマエビは、オスにつかまると、脱皮してオスの腕から一度逃れる。それから、ぷよぷよと身体が柔らかくなったところを再び正面からオスに抱きかかえられ、3分ほど一緒に泳いでいるあいだに交尾は完了する。

そうしてメスは、20時間ほど経つとまた硬い殻をまとう。いっときすると、背のあたりの卵巣が熟してくる。そこで、海中に30万個以上の卵を一気に放出するのである。

一枚の薄い衣を脱ぎすてる煽情の一夜から、大いなる海へと放たれる歓喜。使い古された言葉だが、まこと生命とは驚きに満ちている。まるで源氏物語に出てくる「空蝉うつせみ」のようで、まさか紫式部は平安貴族のようなエビの交尾を知ってあのエピソードを書いたのでは、との妄想も湧く。

クルマエビ養殖発祥の地へ

瀬戸内海へ緩やかにのびる半島の稜線。その手前にひろがる旭水産の養殖池は大正時代に作られ、100年変わらない風景をたたえている。養殖池では、水車が黒い羽根をぐるぐるまわし水しぶきを上げている。水車のポンプといい、羽根の形といい、この風景には何だか馴染みがあるなと思っていると、「この循環ポンプは、台湾から輸入してるんですよ」と、旭水産の八木社長が説明を加えてくれた。

道理で懐かしい感じのするわけだ。台湾南部の高雄から屏東へと走るバスに乗れば、魚やエビの養殖池がならぶ景色にかならず出会うが、それにそっくりなのだ。つよい日差しを浴びつつ、来る日も来る日も飽くことなく池の水中に空気を送りこむ健気な甲殻類のような水車。照りかがやく飛沫。そんな台湾の熱帯の風景にくらべ、周防灘に降り注ぐ晩春の日差しはやさしく、おだやかな風に心も凪ぐ。

山口県山口市の秋穂あいお地域、知る人ぞ知る「クルマエビ養殖発祥の地」である。

瀬戸内海の浅瀬はそもそも、ここ秋穂地域をはじめ天然クルマエビの産地だった。しかし、秋が終われば砂にもぐり冬眠してしまうクルマエビが獲れるのは、夏季を旬とした6、7か月に限られる。そこで、使われなくなった塩田に蓄養池をこしらえてクルマエビを飼い、12月以降の出荷も可能にして、クルマエビが正月のおせち料理を彩ることになった。

そんな天然クルマエビ産地のひとつだった秋穂を「養殖発祥の地」にしたのが、明治36(1903)年に現・山口県萩市に生まれた藤永ふじなが元作もとさく博士である。日本海に面した萩という城下町は、ふたつの川に挟まれたデルタ地帯に発達した「水の都」だ。泳ぎが上手で川エビ掬いにかけては大人顔負けの名人だった藤永少年は、水と自然に慣れ親しみながら成長するうち海に強い憧れを抱くようになり、勉学に励んで東京帝大農学部水産学科に入学する。

そうして、研究のため遼東半島や南方を旅するなかでエビと出会い、とくにクルマエビの生態が殆ど知られていないことに目をつけた。そこから冒頭で紹介したクルマエビの交尾をはじめ、クルマエビの知られざる生態を地道な観察によって解明し、卵の人口孵化に成功、論文にまとめて農学博士を取得した。

大学を卒業した藤永博士は、同じく萩の出身で、台湾にもトロール漁業を持ち込んだ遠洋トロール漁業の推進者でもあった国司くにし浩助こうすけの設立した「共同漁業」(のちの日本水産/ニッスイ)に入社、クルマエビの養殖という夢に向かって歩み始めた。そして、ここ山口市秋穂にクルマエビ研究の拠点を置いたのである。

東南アジアにまで広がった養殖技術

昭和38年、藤永博士が社長となって「瀬戸内海水産開発」を設立し、秋穂ともうひとつ瀬戸内海を挟んで対岸にある大分県姫島に養殖場をつくった。このときの、クルマエビ養殖に対する日本社会の注目度は並々ならぬものだったようだ。

試しに、当時の株主のために開催された養殖場見学ツアー参加者を紹介しよう。社長の藤永元作のほか、最高顧問には、渋沢敬三(渋沢栄一の孫にあたる)代理で民俗学者の宮本常一、取締役には東急社長だった五島昇、東宝映画社長の清水雅、来賓株主には大宅壮一、邱永漢、今東光と錚々たる顔ぶれである。一行は山口市内の湯田温泉「かめ福」と「千登世」に分宿して地元あげての歓迎を受けたようだが、今や山口ではそんなことを記憶している人もいまい。

「クルマエビを量産して漁民の生活を豊にすると共に、一般大衆にも安くてうまいクルマエビを食べさせなければならない」という夢を描いて研究に励んだ藤永博士だが、会社経営はまったく不得手なうえ稚エビの量産もうまくいかず、多額の赤字を抱えて会社は傾き、ついに社長を降りた。

事業に疲れた藤永博士は、秋穂の地にあらためて「藤永くるまえび研究所」を起ち上げ、大量の稚エビを育てる手法を確立した。当時、東大で博士課程にいた台湾人で「ブラックタイガー養殖の父」である廖一久(リャオ・イーチュウ)氏も秋穂に4か月ほど研究滞在し、そこで得た知見を台湾に持ち帰った。

そして1970年代より、廖博士のブラックタイガー養殖の手法は台湾の沿岸各地をはじめ、タイやインドネシアなど東南アジア各地に広がっていく。いってみれば、クルマエビのみならず、わたしたちが今、食べているエビの多くを占める養殖の東南アジア産(ブラックタイガーやバナウェイなど)の大元は、ここ秋穂の藤永博士の仕事にたどり着くのだ。

紆余曲折の先に得た持続可能な道

そんな藤永博士がかつて顧問をつとめたのが、明治28年に創業した旭水産である。目下、秋穂では年間20トンのクルマエビが出荷されるなか、ここ旭水産からの出荷量は12トンを占める。現在、社長をつとめる八木政治まさじさんは山口市出身で、高知の大学を卒業後すぐにこの業界へ入った。

秋穂におけるクルマエビ養殖の生産ピークは1980~90年代だったが、昨今はその10分の1ほどまで減った。理由は、病害や台風でダメージを受けたことにある。特に恐ろしいのがウイルスだ。台湾では実際、1988年に各地の養殖場でウイルスが蔓延し、病気はその後に東南アジアへも広がって壊滅的な被害をもたらした。2020年からのコロナ禍で一般化した「PCR検査」も、八木社長いわく、エビ養殖業者のあいだでは昔から身近な検査である。

他所から買った稚エビといっしょにウイルスが持ち込まれる恐れがあるので、稚エビはこの秋穂の地で人工孵化する。孵化のときに起こりやすい中腸腺壊死症は、卵をいったん洗浄することで撲滅に成功。こうした経験の積み重ねによって、感染症の起こりにくい今の生産量に落ち着いた。この量の商品ならば、市場に出荷せずとも直送や地元の販売で経営は回り、質も安定する。

また、秋穂の養殖クルマエビはまったくの無投薬で育てられる。薬を与えて対策すれば、ウイルスは抵抗力をもちより強くなるからだ。「養殖エビは薬漬け」という偏見を持っていたわたしにとって、これは大きな驚きだった。エビのいない時期には、山口県名産のトラフグの稚魚を育てて海へ放流する役割も担う。つまり、サスティナブルという言葉が広まるずっと前から、秋穂のクルマエビ養殖はたいへんな紆余曲折をへた結果、持続可能な道をみずから獲得していたのだ。

油彩画家・香月泰男との出会い

話を聴いているあいだも、八木社長の携帯電話がひっきりなしに鳴る。沖縄、熊本、鹿児島、大分と各地の同業者の信頼を得ている八木社長には事あるごとに相談が持ち込まれ、日々さまざまな情報交換が行われている。八木社長が、出荷前のクルマエビを大切そうにつまみあげ、見せてくれた。尻尾にかけて緑、黄色、青とグラデーションを見せる宝石のような身体が、紫がかった車輪のような紋様に覆われバネを入れた如くぴくぴくと跳ねる。

ふとみると、養殖池のそばに石碑が建っている。石の中心には絵のスケッチのプレートがはめ込まれている。昭和38(1963)年、山口県長門市出身で油彩画家と知られる香月泰男が、藤永元作博士に会いに旭水産を訪れ、新聞連載のカット絵用に描いたものだ。

香月夫人・婦美子さんも秋穂出身というご縁もあるという。アジア太平洋戦争のあとシベリアに抑留され、その壮絶な日々のなかで亡くなった仲間を鎮魂するために「シベリア・シリーズ」を描いた香月泰男。香月は、復員後しばらくして故郷の長門市三隅町に戻り、それから、その地を「わたしの〈地球〉」と呼んで自然や暮らしを慈しみながら生涯をおくった。

生きることがもたらす苦しみと愉楽。そうした中で立ち会う生命の循環。この秋穂の地もまた、藤永博士をはじめクルマエビに関わる人々にとっての〈地球〉なのではないか。きらめく周防灘とおなじ青色に彩られた、飄飄とした香月のスケッチを見つめながら、そんなことを考えた。

文・写真・イラスト=栖来ひかり

参考図書:『えびに夢を賭けた男 : 藤永元作伝』(酒向昇・著/緑書房/1992)

栖来ひかり
台湾在住の文筆家・道草者。1976年生まれ、山口県出身。京都市立芸術大学美術学部卒。2006年より台湾在住。台湾に暮らす日日旅の如く新鮮なまなざしを持って、失われていく風景や忘れられた記憶を見つめ、掘り起こし、重層的な台湾の魅力を伝える。著書に『台湾と山口をつなぐ旅』(2017年、西日本出版社)、『時をかける台湾Y字路~記憶のワンダーランドへようこそ』(2019年、図書出版ヘウレーカ)、『日台万華鏡』(2023年、書肆侃侃房)、『台湾りずむ』(2023年、西日本出版社)。

▼連載のフォローをお願いします!

▼栖来ひかりさんのほかの連載を見る

よろしければサポートをお願いします。今後のコンテンツ作りに使わせていただきます。