見出し画像

元祖リモートワーカーによる“山の暮らし”のすゝめ|『超約版 方丈記』(5)

8月11日は「山の日」です。
かつて鴨長明が、山の暮らしの豊かさについて綴った箇所の現代語訳を『超約版 方丈記』(ウェッジ刊)から抜粋してお届けします。

鴨長明(著),城島明彦(翻訳)

山番の子と遊びまわる
名所巡りで足腰を鍛錬

かれ十歳ととせ、これは六十むそぢ

私が方丈の庵を結んでいる日野山のふもとには、もう一軒、しばでつくった粗末な庵がある。

山の手入れをしたり、不審者の侵入を見張ったりしている山の番人がそこに住んでいるのだ。

その番人には男の子が一人いて、時々、この庵を訪ねてくる。

忙しくないときは、その子を友として外へ遊びに出る。

その子は十歳で、私は六十歳。

年齢こそ大きく隔たってはいるが、互いを慰め合おうとする思いは共通している。

二人でちがや花芽かがを抜いたり、苔桃こけももを採ったり、山芋のつるにっている零余子むかごを取ったり、せりを摘んだりして楽しい一日を過ごす。

山裾のたんぼへ行って、落ちを拾い集め、動物などを編みあげる穂組ほぐみ遊びに時の経つのを忘れたこともあった。

天気のよい、うららかな日には、一緒に峰まで登っていく。

峰に着いたら、都の方の空を遠望したり、木幡山こはたやま伏見ふしみの里・鳥羽とば羽束師はつかしを眺めたりする。「勝地しょうち本来もとより定まれる主なし。大よそ山は山を愛する人に属す」と『白氏はくし文集もんじゅう』や『和漢わかん朗詠集ろうえいしゅう』にあるように、風光明媚な景勝地(勝地)に持ち主はいないというのが通り相場なので、心ゆくまで絶景を楽しんでも何の差しさわりもないのである。

山路を歩くことは、たとえ険しかろうと、煩わしいと思ったことは一度もない。遠くまで足を延ばしたいと思ったときは、峰づたいにどんどん歩いていって、炭山すみやまを越え、笠取かさとりを通って、あるときは岩間寺いわまでらに詣でたり、またあるときは石山寺いしやまでらを拝んだりするのである。

そこから先は、粟津あわづの原に分け入って、倭琴わごんの曲「蝉歌せみうた」の名手だった蝉丸せみまるの翁の住居跡を訪ねて弔意を表したら、宇治川上流の田上河たかみがわを渡って、伝説の歌人猿丸さるまろ太夫だゆうの墓を訪ねる。

行きは、そういうコースをたどることが多い。帰路は、春なら桜狩りに興じ、秋なら紅葉狩りを楽しみ、春にはわらび採りをし、秋には拾った木の実を土産がわりに持ち帰って、仏壇へ供えたりもするのである。

途中で人と出会うこともあり、会えば自然と言葉を交わす。

隠棲といっても、まったく誰とも接しないわけではないのだ。

感傷的になる日も幾たびか
山奥は怖いところではない

~老ひの寝覚ねざめの友~

静かにけてゆく秋の夜長のことだった。

窓から見える月を眺めながら、ゆかりのあった故人をしのんでいると、山奥のどこか遠いところで物悲しげに鳴く猿の声が聞こえてきて、どうにも切なくなり、涙をこぼしたことがある。

夏の晴れた夜のことだった。

草むらではすだく虫の声が聞こえ、蛍が黄色い光を点滅させるが、その明かりを遠くでまたたまきの島の篝火かがりびと見違えかけたこともある。

かと思えば、春先だったか、暁に降る雨音が木々の葉を吹き鳴らす嵐のように聞こえたこともあった。感傷的になっていたせいだろう。

そういうときには、山鳥がほろほろと鳴く声を耳にしても、父か母が呼んでいる声ではないかと思えてくることもある。

また、あるときには、峰に住む鹿が私を少しも警戒することなく近くまで寄ってくるのを見て、世間から遠ざかっている自分にハッと気づかされた宵もあったのである。

冬は、明け方になると、冷え込みが厳しくなる。

そんなときは、ぽつねんと火鉢のそばに座って、火箸を手に取るのが習慣になっている。

その火箸で何をするかといえば、昨晩、床につく前に灰をかぶせておいた埋め火を掻き起こすのである。そのうち、埋め火が息を吹き返し、やがて赤々とした火がおこってくる。すると、何となくうれしくなり、老いた身の寝覚めの友のように感じる炭火の上に手をかざして、暖を取るのだ。

冬は、そういう明け方が多いのである。

人里離れた山奥は恐ろしいところだと思っている人は多い。

だが私は、一度たりとも恐ろしいと感じたことはない。

そういう安心な山を選んで住んでいるからこそ、ふくろうの鳴き声にも憐れを催したりするのだが、ここに書いたことはほんの一端にすぎず、この山中で四季折々に見られる変化に富んだ景観の種が尽きることはまったくないのである。

私でさえそうなのだから、もっと深く思索したいと願い、もっと深くものごとを見知っている人なら、この山で楽しめる景観は無尽蔵。もっとほかにいっぱいあるといっておこう。

「山の日」にちなんでお届けしましたが、いかがでしたでしょうか。
「ゆく河の流れは絶えずして…」の出だしで知られる『方丈記』は、命のはかなさを川面に浮かんでは消えゆくうたかたに喩え、鴨長明独自の「無常観」を表した作品として知られています。
そんな名作が800年の時を経て、いま再び注目されています。それは令和に入り、コロナ禍で昨日まで元気だった人が今日はあの世へ旅立つ「無常の時代」に直面したからです。
おまけに国内では地震、暴風、豪雨、土石流などの自然災害が頻発し、国外を見れば戦争が勃発。長明が描いた平安末期から鎌倉初期の時代に非常に酷似しているのです。
不安に苛まれる日本人が多いなか、長明が書き記した不条理な世を生きる極意は、現代でいうところのミニマリストやリモートワーカーにも通じるものがあります。
3年目に入ったコロナ禍を機に、『方丈記』にヒントをもらいながら「人生に本当に必要なものは何か」をじっくり考えてみるのはいかがでしょうか。

▼本書のお求めはこちら

<本書の目次>
第一章 天災と人災
第二章 方丈の庵に住む
第三章 いかに生きるべきか
「方丈記」原文(訳者校訂)
解説

原作者:鴨長明(かものちょうめい)
平安時代末期から鎌倉時代にかけての日本の歌人・随筆家。建暦2(1212)年に成立した『方丈記』は和漢混淆文による文芸の祖、日本の三大随筆の一つとして名高い。下鴨神社の正禰宜の子として生まれるが、出家して京都郊外の日野に閑居し、『方丈記』を執筆。著作に『無名抄』『発心集』などがある。

訳者:城島明彦(じょうじま あきひこ)
昭和21年三重県生まれ。早稲田大学政経学部卒業。 東宝を経てソニー勤務時に「けさらんぱさらん」でオール讀物新人賞を受賞し、作家となる。『ソニー燃ゆ』『ソニーを踏み台にした男たち』などのノンフィクションから 『恐怖がたり42夜』『横濱幻想奇譚』などの小説、歴史上の人物検証『裏・義経本』や 『現代語で読む野菊の墓』『「世界の大富豪」成功の法則』 『広報がダメだから社長が謝罪会見をする!』など著書多数。「いつか読んでみたかった日本の名著」の現代語訳に、『五輪書』(宮本武蔵・著)、『吉田松陰「留魂録」』、『養生訓』(貝原益軒・著) 、『石田梅岩「都鄙問答」』、『葉隠』(いずれも致知出版社)がある。


この記事が参加している募集

古典がすき

日本史がすき

よろしければサポートをお願いします。今後のコンテンツ作りに使わせていただきます。