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超約版 方丈記

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「ゆく河の流れは絶えずして……」の出だしで知られる『方丈記』は、命のはかなさを川面に浮かんでは消えゆく泡に喩え、鴨長明独自の「無常観」を表した作品として知られています。そんな名作… もっと読む
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記事一覧

元祖ミニマリスト鴨長明に学ぶ“究極の断捨離”|『超約版 方丈記』(10)

人生の終わりが近づいたら 大きな家・広い部屋は不要~露消えがたの末葉の宿り~ 命は永遠ではない。この世に生を受けた瞬間から、あの世へと歩み始めるのだ。私も、いよいよとでも表現すればいいのだろうか、ここに至って、齢六十を迎え、わが人生の露が消え入りそうに心細く感じられるようになってきた。 だから、消えそうな命の露が葉っぱの先にしがみついている“末葉の宿り”のように、わが余生を過ごすのにふさわしい栖となる庵を準備したのである。いうなれば、旅人が一夜かぎりの仮寝の宿を自分自身の

元祖ミニマリスト鴨長明に学ぶ「身のほどを知る生き方」|『超約版 方丈記』(9)

身のほどを知る生き方 静かで憂いのない環境~憂へなきを楽しみとす~ 先のことは、ざっくりいって、どこでどうなるかわからない。 ここに住み始めたことも、そうだ。当初は、ほんのしばらく住んでみるかといった軽い気持ちだったのに、ふと振り返れば、いつの間にか、五年も過ぎてしまったのである。 そんなわけで、仮住まいのつもりだったこの庵も、いささか古びてしまった。軒には朽ち葉が深く積もり、土台は苔むした状態となっているのだが、それも悪くはないと思っている。 * * * 風の便

元祖ノンフィクションライター・鴨長明が記した「大飢饉」の惨状|『超約版 方丈記』(8)

二年続きの「養和の飢饉」 春夏は雨なし、秋冬は大洪水 ~飢渇して、あさましき事侍りき~ あれは、養和(1181~1182年)の頃のことだったろうか。こんな漠然とした言い方をするのも、遠い昔のことなので、正確な年をすぐには思いだせないのである。 そんな私でも、飢饉による悲惨な状況が二年も続いたことだけは、つい昨日のことのように鮮明に覚えている。春と夏は日照り続きで、秋には大風や洪水が多発するなど、よくないことが重なったのである。 人が生きていくのに必要不可欠な米・麦・粟

元祖ノンフィクションライター・鴨長明が克明に記した「災害」の記憶|『超約版 方丈記』(7)

「安元の大火」の悪夢 地獄の業火とはこれか~一夜のうちに、塵灰となりにき~ ものごころがついてから、はや四十年余もの歳月が過ぎ去ってしまった私の人生だが、その間、この目と耳で、いやというほど不思議な出来事を見聞してきた。 なかでも鮮烈な記憶として脳裏に刻まれているのは、安元の大火だ。安元三(1177)年四月二十八日に平安京で発生した大火事、通称「太郎焼亡」がそれである。 その日の都は、暴風が吹き荒れて、何とも騒々しい晩だった。 夜空を焦がして東南の方角から火の手が上が

元祖ミニマリストも捨てられなかった“執着心”とは|『超約版 方丈記』(6)

魚は、水に飽かず 鳥は、林を願う ~三界は、ただ心ひとつなり~ 仏教の教えに「三界唯一心」というのがある。 仏教では、衆生が生死を繰り返しながら、ぐるぐるとめぐっている世界を「三界」といっている。 下から上へ欲界・色界・無色界の順である。 三つに分かれているので、別々の世界のように感じるかもしれないが、ただ一つの心でつながっており、心の持ちよう一つで、この世の中は、いかようにもなるのだ。 「三界唯一心」とは、そういう意味である。 心が穏やかで安定していなけれ

元祖リモートワーカーによる“山の暮らし”のすゝめ|『超約版 方丈記』(5)

山番の子と遊びまわる 名所巡りで足腰を鍛錬 ~彼は十歳、これは六十~ 私が方丈の庵を結んでいる日野山の麓には、もう一軒、柴でつくった粗末な庵がある。 山の手入れをしたり、不審者の侵入を見張ったりしている山の番人がそこに住んでいるのだ。 その番人には男の子が一人いて、時々、この庵を訪ねてくる。 忙しくないときは、その子を友として外へ遊びに出る。 その子は十歳で、私は六十歳。 年齢こそ大きく隔たってはいるが、互いを慰め合おうとする思いは共通している。 二人で茅の花

独り奏で、独り歌う~鴨長明に学ぶ無理をしない生き方|『超約版 方丈記』(4)

思う存分、楽器を弾き歌う 乾いた心を潤わせるために~独り調べ、独り詠じて~ ある朝のことだったが、漕ぎ進む舟の立てる白波がたちまち消えてしまう光景がふと頭に浮かび、はかなく感じることがある。 そんなときは、条件反射のように、万葉歌人の満沙弥(沙弥満誓/大宰府の造筑紫観世音寺別当)の歌を連想する。 世の中を何にたとへん朝ぼらけ漕ぎゆく舟の跡の白波 (世の中を何に喩えたらよいだろう。明け方の港を漕ぎ出た舟が立てる白い航跡がすぐに消えてしまうように、この世ははかない) 歌が

平清盛の“福原遷都”は人災!元祖ノンフィクションライターによる渾身のルポを読み解く|『超約版 方丈記』(3)

「福原遷都」は人災 旧都では人心が荒廃~ にはかに都遷り侍りき ~ 天下を揺るがす寝耳に水の大事件が都人を驚かせたのは、治承四(1180)年六月頃のことだった。辻風から二週間後、平清盛が平安京を捨て、摂津国(現在の大阪府北西部と兵庫県南東部)の福原へ遷都したのだ。 遷都のような重大な出来事が、何の前触れもなく、いきなり行われようとは、誰も予想だにしておらず、都は上を下への大騒ぎになった。 * * * 平家の横暴に業を煮やした以仁王(後白河法皇の皇子)が、源氏の長老で

春夏秋冬を愉しむ~鴨長明に学ぶ無理をしない生き方|『超約版 方丈記』(2)

大自然に溶け込む歓び 四季の移ろいに心躍る ~ みづから休み、みづから怠る ~ 春には、藤の花を愛でる。 春爛漫といわんばかりに庵のそばに咲き乱れる藤の花房は、まるで春空にたなびく紫雲のようで、えもいわれぬ美しさが、西方に匂い立つばかりである。 夏になれば、郭公のさえずりにじっと耳を傾ける。 郭公が鳴くたびに、心の奥で「しかるべきときが来たら、死者の霊魂が往き来する冥途の山路の道案内をよろしく頼むぞ」と呟いて、郭公と約束を交わしている私なのである。 秋が訪れると、

ゆく河の流れは絶えずして~鴨長明の記した“無常観”がいま注目されるワケ|『超約版 方丈記』(1)

この世は無常、はかない 浮かんでは消える水の泡~ よどみに浮かぶ泡 ~ 水をたたえて流れている川は、いつ誰が見ても、途切れることはなく、どんどん新しい水と入れ替わり続けている。 水のよどみに浮かぶ泡は、ちょっと見るだけでは気づかないが、じっと見ていると、消えるものもあれば生まれるものもある。 しかも、同じところにじっとしているものは、ひとつもない。 このことは、世の中の人にも住まいにもいえるのだ。 花の都に家々が棟を並べ、軒の高さを競い合う光景には、「珠玉を敷きつめ

『方丈記』はなぜ現代に通じる最高の人生哲学なのか?

文・城島明彦(作家) コロナ禍で注目! 世界初の災害文学 いつ終息するのか予測がつかないコロナ禍で、〝世界初の災害文学〟である鴨長明の『方丈記』に大きな注目が集まっています。  鴨長明は、鎌倉時代初期に成立した『新古今和歌集』に10首も入っている著名な歌人で、琵琶や琴の名手でもあり、家の設計もできる多芸な才人でしたが、人づきあいが大の苦手。50歳のときに出家して世間に背を向け、山中に「方丈庵」と呼ぶ狭い庵をつくって隠棲し、気ままに生きた自由人です。  そんな長明が最晩年