700年前の親鸞の教えを伝える『歎異抄』が、なぜいま人気なのか?|齋藤孝『図解 歎異抄』より(9)
およそ700年ほども前に記されたとされる宗教書『歎異抄』が、なぜ今の時代にも読まれ続けて、人気があるのでしょうか。
親鸞が生きた当時は戦乱が続き、病気の蔓延、飢饉、地震などいろいろな厄災がおきた不安の多い時代で、働く人びとの生活は、日々たいへんな苦労の連続でした。人びとは少しでも心を安らかにして生きる道を求めていたのです。ところが、救いを約束する仏教は、支配層の貴族たちに取り入って民衆を顧みないでいました。
そうした中で説かれた親鸞の教え、信仰が、当時の人びとに支持され、広まっていったのです。その教えでは、念仏をとなえさえすれば、誰でも極楽浄土に往生してさとりを開くことが約束されるので、この世でも安心して生きていける、という「他力」によるものでした。
新型コロナウィルスの世界的な流行やロシアのウクライナ侵攻、進む温暖化や格差に加えて、日本では少子高齢化など、さまざまな問題がおきている状況では、とくにメンタル面が重要となってきます。「落ち着いてよく考えて対処しなければ」と、前向きになる気持ちが大切なのですね。そのときにもまた「他力」という考え方が、とても有効なのでは、と思うのです。
いまでは「他力」といえば、「人まかせ」「運まかせ」といった、やや無責任なことのように思われがちです。そうではなく、これは力の足りない自分から離れて、もっと大きなものにまかせてみる、といった心のあり方なのです。
「阿弥陀様の他力を信じているの?」とか、「極楽浄土を信じているの? 本気で?」といった疑問をもつ方もあるかもしれません。しかし、そうした宗教的な教えの奥には、現代の私たちにとって、とても意味の深い、考えるに値すること、反省すべきこと、納得がいくこと、希望がもてること、安心できること──そうした宝物が潜んでいるのです。
世の中には、自分の力だけでどうにかできることばかりではありませんね。自分を離れた、ある意味では客観的な見方によって、自分ではない別の力にまかせることにすると、心の重荷がすっと取れる思いがします。それがむしろ生きる気力を湧かせてくれる。
これは一種のパラドックスのようなもので、決して投げやりで、暗くなってしまうことではありません。逆に強い心のあり方を獲得することです。実はこうしたところが、他力の教えを説く『歎異抄』のキモであり、多くの人たちを惹きつけてやまない魅力なのです。現代で『歎異抄』を読むことの意味も、そこにあるのだ、と思うのです。「たよる、まかせる、おもいきる」で、心の重荷をおろして、スッキリ上機嫌でいきましょう!
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