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700年前の親鸞の教えを伝える『歎異抄』が、なぜいま人気なのか?|齋藤孝『図解 歎異抄』より(9)

京都国立博物館にて本日より、親鸞聖人生誕850年特別展「親鸞-生涯と名宝」が始まりました。
歎異抄たんにしょう』は、司馬遼太郎や吉本隆明、西田幾多郎などの知識人にも多大な影響を与えた宗教書です。中世最大の宗教者であった親鸞しんらんの生の言葉を聞いていた弟子が、親鸞没後の世界にはびこる「異説」を「なげき」、正しい言葉を伝えていこうというのが基本スタイル。時代を超えた命題を提示し、ずっと考え続けられる、奥深い魅力を持っています。今回は、この現代において『歎異抄』を読むことの意味を齋藤孝先生が語ります。

図解 歎異抄』齋藤孝 著(ウェッジ)
2022年12月20日発売

およそ700年ほども前に記されたとされる宗教書『歎異抄』が、なぜ今の時代にも読まれ続けて、人気があるのでしょうか。

親鸞が生きた当時は戦乱が続き、病気の蔓延、飢饉、地震などいろいろな厄災がおきた不安の多い時代で、働く人びとの生活は、日々たいへんな苦労の連続でした。人びとは少しでも心を安らかにして生きる道を求めていたのです。ところが、救いを約束する仏教は、支配層の貴族たちに取り入って民衆を顧みないでいました。

そうした中で説かれた親鸞の教え、信仰が、当時の人びとに支持され、広まっていったのです。その教えでは、念仏をとなえさえすれば、誰でも極楽浄土に往生してさとりを開くことが約束されるので、この世でも安心して生きていける、という「他力」によるものでした。

新型コロナウィルスの世界的な流行やロシアのウクライナ侵攻、進む温暖化や格差に加えて、日本では少子高齢化など、さまざまな問題がおきている状況では、とくにメンタル面が重要となってきます。「落ち着いてよく考えて対処しなければ」と、前向きになる気持ちが大切なのですね。そのときにもまた「他力」という考え方が、とても有効なのでは、と思うのです。

いまでは「他力」といえば、「人まかせ」「運まかせ」といった、やや無責任なことのように思われがちです。そうではなく、これは力の足りない自分から離れて、もっと大きなものにまかせてみる、といった心のあり方なのです。

「阿弥陀様の他力を信じているの?」とか、「極楽浄土を信じているの? 本気で?」といった疑問をもつ方もあるかもしれません。しかし、そうした宗教的な教えの奥には、現代の私たちにとって、とても意味の深い、考えるに値すること、反省すべきこと、納得がいくこと、希望がもてること、安心できること──そうした宝物が潜んでいるのです。

世の中には、自分の力だけでどうにかできることばかりではありませんね。自分を離れた、ある意味では客観的な見方によって、自分ではない別の力にまかせることにすると、心の重荷がすっと取れる思いがします。それがむしろ生きる気力を湧かせてくれる。

これは一種のパラドックスのようなもので、決して投げやりで、暗くなってしまうことではありません。逆に強い心のあり方を獲得することです。実はこうしたところが、他力の教えを説く『歎異抄』のキモであり、多くの人たちを惹きつけてやまない魅力なのです。現代で『歎異抄』を読むことの意味も、そこにあるのだ、と思うのです。「たよる、まかせる、おもいきる」で、心の重荷をおろして、スッキリ上機嫌でいきましょう!

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齋藤 孝(さいとう・たかし)
明治大学文学部教授。1960 年静岡県生まれ。東京大学法学部卒業。同大学院教育学研究科博士課程を経て現職。専門は、教育学、身体論、コミュニケーション論。著書多数。新刊に『書ける人だけが手にするもの』(SB新書)、『60代の論語 人生を豊かにする100 の言葉』(祥伝社新書)がある。

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