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又吉直樹/第2図書係補佐

「教科書に載っているような作品が好きなんですよね。」

テレビから聞こえてきた声に、自分の耳を疑った。

私が日頃口にしているフレーズを一字一句違わずに吐くこの男は誰だ?

これが約10年前、私が初めて又吉さんを認識した瞬間だ。私は敬意と親しみを込めてピースの又吉直樹氏のことを又吉さんと呼ぶ。

当時、又吉さんが読書大好き芸人としてもてはやされる少し前、私は古本屋として細々と活動していた。店のコンセプトは、純文学と詩集と絵本しか扱わない店。

その頃は、純文学は現在ほど光を浴びておらず、棚の隅に「なんだかすみません...」と申し訳なさそうな顔をして並んでいるような時代だった。

“純文学にスポットライトを、文士にゆかりある地元に光を”という恐れ多くも大それた目標を胸に邁進していた。そう、私も当時若かったのだ。

そんな活動も後に、“私、本を売りたいワケじゃなかったんだ”と、そもそものスタートラインからのミスチョイスに気が付いたことと、何より、私が目指したことを又吉さんが実現されたことにより、安心してあっけなく幕を閉じる。

好きな作品、読まれている作品も重なることが多い上に、度々お話されるエピソードも共感するものばかりだった。

おそらく彼も感受性が相当強く、また自意識が相当過剰なのだろう。

もう自分は駄目なんじゃないか?とか思っていて、誰にも相談なんか出来なくて、そんな時に古い小説を開いたら自分がいた。そこに自分と同じようにどうしようもない人間がいた。その人達は自分よりも歳上だったから、まだまだ可能性はある、生きられる、と思った。
感情の媒体として進化してきた言葉が本来の役割を存分に発揮できていることに感動する。

初めてこの文章に出会った時、泣いた。私が本を読む理由がそこにはそのまま書かれていた。

「考えすぎで△」

又吉さんが話す、現代文のテストの返却時に書かれていた言葉だという。

国語の教師にこう書いて返された。間違いではないが、深読みし過ぎており正解とは言えないという。

思わず、吹いた。

私も全く同じことをテストの答案用紙に書かれて返却されたことがあったのだ。

もう私は、又吉さんに夢中になった。しかも、ちょうどその頃、住む街に吉本新喜劇の劇場が新しく出来たのだ。なんと運が良いのだろう。

自意識が過剰な私は、これには何か運命を感じる、とさえ思っていた。

しかも、月に1回ピースもやって来るのだ。

もちろん、通った。

劇場は小さく、舞台と客席の間はわずか2メートルも、ない。田舎だからか客もまばらだ。

あまりに熱心に相方ばかりを見つめる気味の悪い女が客席にいる、と綾部氏にもバレたのだろうか、壇上から「どうせあなたには又吉しか見えてないでしょう」と、イジられたこともあった。

綾部氏のお尻は小さくスタイルも良く、やはりイケメンであった。

第2で、さらに補佐

書籍紹介と思わせて、ほぼエッセイだ。きちんと冒頭でも述べている。

僕の役割は本の解説や批評ではありません。僕にそんな能力はありません。心血注いで書かれた作家様や、その作品に対して命を懸け心中覚悟で批評する書評家の皆様にも失礼だと思います。だから、僕は自分の生活の傍らに常に本という存在があることを書こうと思いました。本を読んだから思い出せたこと。本を読んだから思い付いたこと。本を読んだから救われたこと。

まだ執筆には慣れていない頃だからか、全てが巧いわけではない。(もちろん大半は傑作なのだが。)

そういったところも含めてとても勉強になる本だ。

声に出して笑ってしまう章には面白すぎてもはや感動を覚え、各章の書き出しの巧さには舌を巻いた。

このまま僕はこの人達の遊び心により偽りの経歴を与えられ人生を改竄されるのではないかという一抹の不安を感じた。
僕がまだ、ドッジボールで戯れる同級生を尻目に校庭の隅で、無意味な全力ダッシュを繰り返し「これが男としてカッコイイ」と信じていた哀しき小学生の頃。
占い師はタロットカードをめくりもせず、かき混ぜる段階で「あなたセックス下手でしょ?」と言った。とても失礼だ。せめてタロットをめくってから発言して欲しかった。
「アナタは大丈夫!すごくいい手相よ。必ず成功します。タダ一つだけ約束して、深く思い悩まず明るく生きること」と、素敵な笑顔で一番難しいことを言った。
見つけ次第、即刻殺そうと考えていた。

26...27...34...35あっ!

読み返していたところ、『中陰の花』玄侑宗久著の章で語られる占い師の話に度肝を抜かれた。

占い師は僕の手を見て「26...27...34...35あっ!」と言って僕の手を放した。三十五歳の僕に一体何があるのか?
又吉直樹『第2図書係補佐』

そう、又吉さんが『火花』で芥川賞を受賞したのは35歳の時だったのだ。

これを執筆しているのは受賞の何年も前だ。ふるえた。

又吉直樹×中村文則

最後には、このお二人の対談が掲載されているのだが、中村文則氏の言葉が好きだし、その通りだと思った。

純文学っていうものをたくさん読んだ人っていうのは、自分の内面に自然と海みたいなものが出来あがるんです。で、それは作家になるとかお笑い芸人になるとか、もちろんそれ以外のいろんな職業の人達にとっても、非常に素晴らしいものなんですよ。つまりいろんな角度から物事を考えられるようになる。
そういう変な海を持っている人は芸人さんに限らず面白い。どんな職業の人でもね。
又吉直樹『第2図書係補佐』【対談】又吉直樹×中村文則

なんだか救われた気がした。

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