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250 笑いの執念

手放すときの笑い

 笑いといえば、私もよく引用するのが桂枝雀(2代目、1939-1999)の「笑いの緊緩理論」、つまりいわゆる「緊張と緩和」だろう。緊張がポッと緩んだ瞬間、人は思わず笑う。「いないないばー」と赤ん坊にやると、「いないない」(緊張)からの「ばー」(緩和)で笑う。緊張の種類にもよるし、もちろん個人の性格にもよるが、結果としての笑いも、苦笑、微笑から爆笑までさまざまだろう。
 私の感覚としては、なにかを手放すときに、ちょっと笑ってしまう気がしている。それまで抱いていた気持ちとか、視点を放棄したとき、笑える。
 それは、同時に悲しみでもあるはずだ。風船を持っていた。ぎゅっと紐を握っていたはずなのに、どういうわけか手を離れて、風船は飛んで行ってしまう。悲しい。「あのときは、泣いたなあ」と、その悲しみを手放したときには笑いになる。
 笑いにするために、なにかを手放すことも、ひとつの方法だろう。恐らく握り締めているとき、その重大さに心の大部分が支配されていて、まったく余裕を失っている。だったら、余裕を作ればいい。なにかを手放すのだ。

笑いのわだかまり

 お笑い番組で、笑えるときとそうでもないときがある。残念なことに、先日の「THE SECOND」は、あまり笑えなかった。おかしいな、笑えるはずなのにな、と思ったのに、どういうわけか笑えない。演者のせいではない。いや、ある意味で演者のせいである。長年、知っていた芸人たちが対決方式で勝ち残る。たぶん、この方法のせいもあるのだろう。もし敗者がいなければ、もっと笑えた気がする。ベテランといっていい人たちの中から、容赦なく敗者が生まれていく。そもそも、ブレイクしていない、あるいはかつてブレイクしかかった芸人たちである。いまになってなおも、この芸人たちの中から多数の敗者を生み出すことに、釈然としなかった。最後まで、その感情を自分で突き放せなかった。
 優勝したガクテンソクは、以前は「学天即」と表記していた。若手の頃はよく見た。すでに40代。コンビ名をカタカナに変えたと聞いたとき、まだやる気はあるのだと知ってうれしかった。そもそも若い頃から漫才が上手い。新人時代は数々の賞を取っていたから実力はある。ところが、この道はそうした実力と「売れる」ことは比例しない。しだいに私が見ている範囲でのお笑い番組にはあまり出なくなっていった。
 彼らに決勝で負けたザ・パンチに至っては、この番組で久しぶりに見て「続けていたんだ」と感慨深かった。懐かしさを感じた。彼らもやはり40代となっていたが、私の記憶にある漫才に近かった。
 見終わって、重いものが残った。とても、笑い飛ばせる気にはならない。当人たちは平気なのかもしれないが、こちらはそうではなかった。
 3回目のチャンスはあるのだろうか。それとも、これっきりになるのだろうか。そもそも売れていないなら、元に戻るだけだ、ノーリスクだ、とは私には考えられなかったのだ。とんでもなくハイリスクに見えた。少なくとも、自分たちの中で、なにかが壊れていくのではないか、と心配になった。
「そんなことあるかい!」と撥ね付けられる人たちもいるだろうし、こっちが心配するほど厳しい状況ではないかもしれない。気楽な稼業だ、と表面では見せておくのが芸人の生きざまだ。
 落語の世界でも、名人の中には強い執念を感じる人がいる。ずっしりと重たいものを抱えている。そうなると、私は笑えない。
 お笑いには、コンテストがつきもので、確かにそれも一興である。とはいえコンテスト中心では笑えないのだ。ドラマ『だが、情熱はある』は、オードリー若林と南海キャンディーズ山里を描いたドラマだった。コンテストに出てブレイクする。優勝できなくてもブレイクできることがあるから、コンテストに出て決勝に残らなければならない。決勝に出てもブレイクしないことも珍しくない。
 こうした仕組みそのものが、お笑いを窮屈にしている気がしてしまう。執念はどんな仕事にもある程度必要だが、執念は笑いになかなかつながらない。おっと、いまこのnoteを読み返してみると、当事者の親みたいな心境だな、と気付いた。苦笑するしかない。

なんか難しい構造物があって……。


 
 


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