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151 言葉にならないこと

ドラマ「舟を編む」を見始めた

 NHKで新しくドラマ「舟を編む」が始まった。2017年という設定。大手出版社の女性向けファッション雑誌が休刊になる。なるほど、そういう流れがあったりもした。ドラマは軽快なので見やすい。こうした作品でも恋愛要素をメインにするんだなあと感心する。
 映画版を2014年に見ている。その感想は「温かい映画だった」の一言だけだった。しかも、まったく思い出せない。見ていること、いい感じだったことしか覚えていないのである。
 ドラマ「舟を編む」は国語辞典をつくる話なので、言葉に拘っている。言葉という表現。その意味するところ。使い方。さらに、言葉を簡潔に的確に意味を表すための表現方法といったいわば「難問」に挑む人たちが登場する。
 こうして、noteを書いたり小説を書いたりすると、あらゆることが書き言葉で表現できる、と思ってしまう。
 しかし、言葉のおかげで、言葉にならないことは、ごっそりと抜け落ちていく危険性も同時にある。普段はそのことをあまり気にしていないけれど、もしもドラマにあったように、なにげなく使っていた言葉が、自分の思っている機能とはまったく違う機能を発揮してしまう場合には、むしろ発した人自身がその報いを受けてしまうことになる。
 悪口とは思わずに発してしまい、人を傷つけて、その結果孤独になってしまうとか。誰もがわかってくれていると思い込んで使った言葉を、誤解されて思わぬ事態に巻き込まれるとか。
 言葉を誤用することの怖さもあるけれど、言葉に含まれている言葉の意味以外の雰囲気やニュアンスも大切だし、実はそもそもぴったりの言葉がないままに適当に発してしまう危険性もある。

絵を描いていて思うこと

 このところ、「雲海」の絵を描いているのだけど、その作業時間はだいたい数分。30分もかかっていない。なにも考えていないからだ。いや、それではダメだと思う。思うけれど、いまの自分の技量では考えたことを表現できる力はまったくないので、だったら出たとこ勝負しかないのだ。
 このとき、本当になにも考えていないのかといえばそんなことはなくて、「もっと薄くしたいな」とか「ほかのブラシでやってみようか」とか、「色の配合を変えてみよう」とか「新しいレイヤーに描いてみよう」といったことをちょくちょく考えながらやっている。
 いや、なにが言いたいかと言えば、言葉にならないものを表現しようとしている。確かにテーマは「雲海」だけど、私の目指すのは技巧的に優れたスーパーリアルな絵ではない。よく、YouTubeやXで見かけるし、テレビでも名人芸として披露されているのを見かける。確かに素晴らしいと思う。
 だけど、それを真似したいとは思わない。自分にはそういう能力はないし、修業をいまからするつもりもない。
 それよりも、言葉にならないものを絵にしたい。
 言葉にならないものは、そのまま言葉には表現できないから、ほかの方法で表現することになる。単純な例としては、暴力がある。こちらの言葉を相手が理解してくれないなら、ぶん殴る。蹴る。突き飛ばす。踏みつける。あるいは度鳴る。わめく。泣き叫ぶ。
 だから、絵を描くとき、スケッチブックやメディバン(MediBang)に対して、一種の暴力を行使している。たぶん、脳の同じ部分を使っているんじゃないか、と思う。
 言葉による暴力もある。それを司っているのは、肉体的な暴力とは別の脳の部分だろう。
 言葉の暴力は、表現としても冷たい部類に入る。絵やダンスや音楽など非言語の表現は、熱い部類に入る。頭の中で生じているさまざまな感情を、どれだけストレートにアウトプットできるか。そこに必要な技量があれば、きっと素直に表現できるはずだ。
 自分の中から出て来るものを邪魔せずに、ブワーッと出せれば、それもひとつのおもしろさになる。
 言葉の表現では、冷静さが必要で、言葉の選択と論理的思考といった技術で対応していくことになるだろう。
 非言語の表現では、無心であるとか、熱さが必要で、それを最終的な表現形式に素直に結びつけるための技術を身につけないといけないだろう。
 とはいえ、私たちがそれを意識的に切り替えて使っているとは思えない。その根底にあるのは感情あるいは精神だからだ。
 どちらにも技術は伴う。危険性を減らすための技術である。言語の表現も、非言語の表現も、誤解や無理解といった意図しない反応を生むことがあり、危険性も高い。できるだけ誤解されず、理解されやすくする技術を磨くことで、安全性を高めることにつながる。
「MC芸人・奇跡の一夜 よくぞ集まったSP!!」を見たが、芸人の表現は「言葉」である。MCとして番組を司る立場にある芸人たちばかりが集まったとき、そこで交わされる言語表現は、とても滑らかでわかりやすく誤解されにくい。笑いのテンションを高めたり緩めたりしながら、次々と話題を変えていく技術を発揮していた。これもいま求められている話芸なのだ。

雲海?



 

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