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13 恐怖三原則と熊の親子

熊の親子の駆除は悲しい

 近年、熊が人間の生活環境に出没することが増えている。それも一部地域に限らず、日本のさまざまな地域で起きている。先日も秋田県で、畳店の作業小屋に親子の熊が入り込んでしまった。檻を持ち込んで一晩経ったら、見事に檻に入っていた。檻にはハチミツと酒粕を置いたという。母熊と子熊二頭の合計三頭である。そして生け捕りにできたのだが、山に放しても危険は去らないとのことで駆除されたと報じられた。
 感情的には、悲しい。かわいそう。そして怖い。
 人に喩えては意味がないとはいえ、お腹を空かした母子が入り込んできて、勝手に飲み食いしはじめたら、それはそれで怖い。が、駆除という発想にはならない。
 いずれにしても、悲しみと恐怖がほぼ同時に襲ってくるのではないか。

「THE BEE」の人間関係

 野田秀樹演出の「THE BEE」を以前に見た(WOWOW)。野田の戯曲だが、筒井康隆著「毟りあい」(新潮社)を原作としている。筒井らしいぶっ飛んだ発想。脱獄囚に自分の妻子を人質にされたサラリーマンが、脱獄囚の家族を突き止めてその妻子を人質にして交渉しようとする。野田は、911テロに触発され英語で上演することを前提に書き下ろし、その後日本語版も作成したという。
 劇中、お互いに暴力がエスカレートしていく。阿部サダヲと川平慈英がすばらしい演技と顔芸を見せつける。さらに長澤まさみは不思議な肉体による現実感と浮遊感をもたらし、狂気をさらに艶やかにしていく。
 正義といったきれいな言葉ではない。剥き出しの野性のぶつかり合い。当初はコメディ風に楽しめていたシチュエーションが、見る者にナイフを突きつけてくる。ここに描かれている狂気は、人間が人間である以上、逃れられない狂気なのだろうか。誰もが持つ狂気なのだろうか。
 人間同士の関係性の中で、こうした狂気は生まれてくるとして、人間と野性の間ではどうだろう。親子の熊と親子の人を同等に対比することはできない、と誰しもが言う。それでも、こちらは人間なので、母子の熊を殺されて当然、「駆除」されて当然だとは、とても断言できない。
 殺される前にハチミツと酒粕を腹一杯食べたのだろうか。それとも、それさえもニオイだけで、大した量ではなかったのだろうか。
 人の家に上がり込んでご飯を食べてしまったら、殺されてしまうんだよ、ということなのか。
 幸いに、人間は暴力をエスカレートするが、熊は意図的に人間に対する敵意をエスカレートさせることはないだろう。しかし、だからといって、いつでも人間が優位なわけではない。

恐怖の三原則と被害者・加害者

『恐怖の正体-トラウマ・恐怖症からホラーまで』(春日武彦著)を読んでいることは以前に書いた。まだ途中だ。おもしろい本はゆっくり味わう派だ。
 その第二章「恐怖症の人たち」には、さまざまな恐怖症について考察され、そこでも著者による小説や映画、フロイトなどからの多彩な引用をまじえて、とても楽しく、そして怖く語られている。スプラッター映画が好きだという著者は、私より年長だが世代は近いので、いろいろとくすぐられておもしろい。
 この本で、著者は恐怖の三原則として、「①危機感、②不条理感、③精神的視野狭窄──これら三つが組み合わされることによって立ち上がる圧倒的な感情」が恐怖体験を形成しているとする。
 熊が町中に出てくる(飢えた母子が勝手に自宅に上がる)という危機感。そして「なぜ」と言われてもすぐに答えが出て来ない不条理感。まして「なぜ自分のところに」となればさらに不条理である。隣の家でもよかったはずだ。なぜ畳屋さんなのか。むしろ飲食店ではないのか。だが、熊の考えることはわからない。さらに、このあとが、問題になってくる。精神的視野狭窄は、個々人によって違うからだ。
 ある人は、動物愛護や熊は可愛いといった認識を最優先する。ほかのことは考慮の外だ。これも一種の視野狭窄だろう。ある人は、とにかく熊が怖い、襲われたら大変だ、子どもが襲われたらどうする、うちに来たら大変だとなる。これも視野狭窄を生むだろう。
 一方は「無闇に殺すな」と怒り、一方は「すぐ駆除せよ」と怒る。人と熊の間で暴力はエスカレートしないが、人と人の間ではエスカレートする可能性が常にある。それもまた、怖い。
『恐怖の正体-トラウマ・恐怖症からホラーまで』(春日武彦著)の尖端恐怖症の項目には、「逆転する立場」という話が出てくる。「自分が加害者になるのではないか」という恐怖。あるいは「自分が被害者になるのではないか」という恐怖。それだけではない。「加害者・被害者という立場は、予想以上に簡単に入れ替わるものなのである」と著者は記している。
 熊に感情移入して被害者としての熊を思う気持ちは、やがて人を加害者へと駆り立てるかもしれない。
 確かに、世の中は、恐怖に満ちている。自分がなにかの恐怖症になっていなのが不思議である。いや、すでに対人恐怖症かもしれない。

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