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154 ぼんやりと過ごす

「ご自由にお書きください」とあるけれど

 noteを書こうとすると、さりげなくメッセージが出る。「ご自由にお書きください」とか「こんにちは、午後もがんばりましょう」とか。
 確かに「ご自由に」と誘ってみるのはいいのだが、そこに本当に自由はあるのか、と考えてしまう。
 そもそも、自分たちには自由はあるか。恐らく、ない。
 ないなりに、自由を得ること。自由に向かって動くこと。その行動を制限されない限りは自由にやれていると実感できるかもしれない。だけど、「自由に書いてね」と言われても、「書く」ことが前提になってしまうので、そこでもう自由は制限されている。
 確かに憲法上の「表現の自由」でさえ、最高裁判例からすると、一定の制限があって当然との社会的な枠組みが存在している。民法でいえば「公序良俗」に反しない範囲だろう。こうした枠組みは薄ぼんやりとしているのに、踏み外したときの代償は極めて大きなものとなる。
 自由って、踏み外すと怖い。だったらもうそれは、自由じゃない。
 そんなことをぼんやり考えてみる。三連休の中日、土曜日の午後だ。昨日のようなサッカー中継もないし。なにかしなければならないこともない。いや、確定申告をしなくちゃいけないんだけど。昨日は久しぶりに「弥生」の青色申告のサイトへ入って、それを今季も使えることが判明。こういうの、いつ課金したのか忘れちゃうんだよね。継続していたようだ。
 一昨年までは、源泉徴収として原稿料から引かれていたので、それを取り戻すための意欲があったけれど、昨年の売り上げを見ると、源泉されている金額はとても少なくてモチベーションは低いのである。
 かといって、せっかくここまで続けて来た青色申告を辞める気もない。ちゃんと会計ソフト(いまはクラウドだが)を使って、貸借対照表と損益計算書を作りeTaxで送信する。ついこの間までは会計ソフトと申告は切り離された作業だったが、いまではクラウド上でシームレスにやれてしまう。とても便利だけど。
 スマホでマイナカードを読み取って本人確認できるようになったおかげで、ICカードリーダーがいらなくなってしまった。
 そういえば、私は消費税については非課税のままである。世の中でみなさんが苦労されているインボイス制度は保留している状態だ。このままビジネスを畳んでしまえば、インボイス制度に対応することなく済ませられるかもしれないね。

いろんなものをちょいちょい読む

 たとえば先ほどは、これを読んだ。早川書房がnoteをやっているなんて、知らなかったし。試し読みにつながっていて、それを読んだ。長谷敏司『プロトコル・オブ・ヒューマニティ』の冒頭部分である。

 朝は、『美しい星』(三島由紀夫著)を少し読んだし、『源氏物語 A・ウェイリー版』(紫式部著、アーサー・ウェイリー訳、毬矢まりえ訳、森山恵訳)も読んでいる。
 その感想をここに書いてもいいし、書かなくてもいい、という自由をいま弄んでいる。
 どちらもほんの数ページしか読んでいないので、感想を書くには早すぎる。だけど、このnoteでは以前から途中でも感想を書いている。なにしろ、読めばその都度、なしかしら感じるわけで、感じたことを書くことは可能だからだ。
 それでいて、今回、それを書かないのは、下手に書くとただの悪口になってしまうから。うまく表現できる自信がない。
 それは、「なんで○○なんだろう」という疑問である。この「○○」にあてはまる言葉をここに記すわけにはいかない。コンプライアンスである。
 いや、上記の3つの作品は、どれも私はほぼ好きな状態になっているので、好きな上での気づきである。ところがその気づきをストレートに表現すると悪口にしか見えないのだ。
 とはいえ、自分にとっては、その気づきこそが大切なので、日記にはメモしているけれど、それをここに記すのはマズイ。
「最後まで読みもせずに」とか「ちゃんと読みもせずに」と言われてしまうだろう。それももっともなことだ。だけど、誤解、曲解ともに、気づいたことこそ、自分だけのものであって、それを教えてくれた作品にはなんの罪もないのである。むしろ優れた作品だからこそ、そうした気づきをもたらしたのである。
 ただ、そう書くと、まるでさんざん悪口を言ったあとに「でも、いい人だよね」と付け加えるようで、自分としてはそんなアクロバティックなことは書きたくないのである。
「ご自由にお書きください」には、「書かなくてもいい自由」も含まれるので、当然、私は書かないのだ。
 いや、いまの「のだ」は、天才バカボン的で好きではないけれど。消そうとしたけれど、天才バカボン的と記したところがもったいないので、このまま活かす。
 こうして、三連休の中日は終わっていくのだろう。そして自分の人生も。
 そうそう、先日ドラマ「お別れホスピタル」の3話目を見たのだが、なかなか衝撃的だった。そして木村祐一に感動させられたのは、少し悔しい。
 今日は録画していた「不適切にもほどがある!」を見る予定だ。Xにネタバレしそうな記事が見えていたのでシャットアウトしている。
 どちらのドラマにも、体温を感じる俳優たちが登場していて、私はそれをニオイとして感じる。これも「○○という俳優にニオイを感じる」と書いたら気持ち悪いし、悪口っぽくもなるので書かないけれど、こちらの嗅覚を刺激してくる俳優が好きである。
 2000字を超えたのに、結局「書かない」と言い続けているだけになった。

池を描いてみる

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