天野貴代

プロデューサー・講演家  (元テレビ朝日プロデューサー)

天野貴代

プロデューサー・講演家  (元テレビ朝日プロデューサー)

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そらの上から見下ろして

それは私が生まれる前のおはなし。 私はそらの上からこの世を眺めていました。 そして、みつけました。 「あ、この人たち、面白そう! 私もあーゆーことを経験してみたい!」 そして決めました。 この世に生まれることを、みつけた一家と家族になることを。 私が選んだ家族。 それは、クリエイティビティに溢れたロマンティックな父、開拓精神旺盛で明るく華やかな母、とっても恥ずかしがり屋で、すぐ顔が真っ赤になる心優しい兄。 両親ともにNHK職員だったので、私は小さな頃から渋谷のN

    • いま相撲がアツい‼️

      我が人生何度目かの相撲マイブームが到来中です。 私はもともと相撲ファンでして、 テレビ朝日時代には"大相撲ダイジェスト"のスタッフを務めたりも。 ↑ 立候補して無理矢理担当にしていただきました。 いまは、その何倍もアツい相撲マイブーム到来中です。 なぜならば いま、大相撲はガチンコだからです! 誰が優勝するかわからないくらいの戦国時代で ものすごく面白いから! そんな私が テレビ朝日卒業後真っ先に行ったのは 大相撲巡業。 平日の朝8時には会場に着いてスタンバイし

      • 来月は パリオリンピック開幕🇫🇷 17日間にわたり熱戦が繰り広げられ、その模様はパリから世界中に生中継されます。 事前事後の報道やパラリンピックを含めると1ヶ月以上にわたり、パリと世界各国が電波により繋がり続けます。 今でこそ当たり前のように行われている海外からの生中継。 日本で最初に行われたのは61年前のことです。 1963年11月。 翌年に開催される東京オリンピックのホスト局を担当するNHKにより、日本初の宇宙中継放送が行われました。 オリンピック前の重要なリハー

        • 私の母は、日本初の選挙うぐいす嬢です。 半世紀前は、うぐいす嬢なんて言葉も無くて、母がやったことに対して職業名が後から追いかけて来た感じです。 最初にやる人の仕事には名前が無い。 職業名が無いとその価値を理解してもらうのは難しい。 けれど、私の母のように、行動し貢献し続け、結果を出し続けることで理解と認知が広まり、いつのまにか職業名が追いついてくる。 名前より先に行動を始めること。 これ、今回私が会社員を卒業し起業するにあたり実践したことです。 ちなみに 私の母

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        そらの上から見下ろして

          救急車を呼ぶか迷ったら

          先日都内の某劇場でのことです。 終演後、出口に向かって歩いていると、後方で「どすん」という音がしました。 音でピンと来ました。 「傷病者発生」の音だとピンと来たのです。 (あ、わたし、日赤救急員として活動し今年で30年目です。 1年間で平均10件の傷病者を救助しています。) 音のした方向へ駆けつけてみると、階段で女性が下方に向かってうつ伏せ状態で倒れていました。 状況からして、何らかの原因で頭から階段を落下したのでしょう。 詳細は省きますが、 今回あらためて感じたこ

          救急車を呼ぶか迷ったら

          プロフィール

          私のプロフィールはこちらです。 1992年テレビ朝日入社 営業、制作、広報、技術、ライツビジネス等テレビ朝日の主幹事業を担当。 主な担当番組は、ミュージックステーション、フィギュアスケートグランプリシリーズ、サッカーワールドカップなど。 技術プロデューサーとしては「ドクターX」、「緊急取調室」などを担当。 近年は、テレビ朝日が注力するライツビジネス部門のプロデューサーとして人気番組のグッズ開発・販売を担当。2022年にテレビ朝日史上売り上げ最高額を記録し、以来5回連

          プロフィール

          退職で過労

          つーかーれーたぁぁぁぁ 3月末で退職し、4月中旬に風邪をひいて思いの外長引いて今に至る。 まさに 退職疲れ。 32年間も勤めれば、退職の報告やご挨拶したい方が大量にいらっしゃる。 最初は業界ごと、会社ごとに分けてお一人お一人にお目にかかってご挨拶していたがすぐに「このままでは退職日までに間に合わない」ことを悟り、直接がメールに変わり、LINEに変わり、それでも間に合わないのでグループメール、グループLINEを使い一斉連絡へと変えた。 不本意だったが仕方なかった。 退職日

          退職で過労

          3月29日

          最終出社だった。 32年間勤めた会社への最終出社日だった。 朝は傘が役に立たない程の豪雨。 会社に着いたときは全身びしょ濡れ。靴はぐっしょり。 "私の会社人生は最後まで試練なのか、、"と内心で愚痴るも、試練にひたる時間がない。 会社員の退職日は多用なのだ。 フリーワークスペースに居場所を確保するや否や、パソコンを立ち上げ、 退職ご挨拶のメールを送信するため、ひたすらBCC欄に社員の名前を入力し続けた。 BCCは一度に500名にしか送信できないらしい。 私はこの2週間、社員

          生田目 勝ち越し!

          本日の取り組みで幕下の生田目が勝ち越しました! あと一勝で来場所は十両昇進かな⁉️ 二子山YouTubeにハマって2ヶ月。 こんなに相撲観戦が楽しいなんて❣️

          生田目 勝ち越し!

          円安が羨ましいっ

          京都に来ています。 最初の2泊はチャプター京都。 昨日からウエスティン京都ホテルに宿泊しています。 どちらもマリオット系列ですが、ぜんぜん違う! 最大の違いは宿泊客。 チャプター京都は9割9分が外国人でした。 年配のカップル、就学児童を連れたファミリー、赤ちゃん連れetc 東京の日々の暮らしの数倍インバウンドを実感しています。

          円安が羨ましいっ

          堀ママ

          堀ママのお屋敷を拝見しに京都へ来ています。 古民家をリノベした、それはそれは素晴らしいお屋敷でした。 堀ママの美意識が詰まった宝もののような、、、 優しい時間が流れていました。 床の間のお軸は "為楽最善" ネットで調べてみました。 最も楽しいのは善い行いをすることだ。 という意味のようです。 はい。私も今日からそうします。 心が美しいひとの住まいもまた美しかったです。

          AYA世代

          AYA世代(あやせだい) お恥ずかしながら、今日はじめて耳にしました。 Adoluscent and Young Adultの略で、15歳から30歳台までの世代を指すのだそうです。 AYA世代、、、まさに私が"いつもどこかが体調不良"で、自信を持てずにもがきながら生きていた頃です。 いま私がAYA世代だった自分に言いたいことは、 ①睡眠を甘く見るな! とにかく寝ろっ! ②頑張るな! 頑張るより自分に優しくしろ! ③今のうちに好きなことを見つけておけ! ④推しをみつけて推し

          二子山部屋に夢中

          私が年明けからハマっているもの。 それは、、、、 二子山部屋YouTube‼️ 騙されたと思って、今すぐご覧になることをオススメします。 幸せな気持ちになれること請け合いです。 "ありがと。食べてな"の狼雅関にきゅん♪となり、 本名と四股名、"父に人生で2度も名前を付けてもらえて嬉しい"と言う若雅に泣き、 黒烏龍茶チャラ説をドヤ顔で力説する生田目のカメラ目線にハートを射抜かれ、 許田と出沼のいちゃこらにうきゃうきゃし、、、 ↑ わかる人はわかってくださるはず! とに

          二子山部屋に夢中

          マツケンサンバ

          それは2004年の秋のこと。 友人から誘われて新宿コマ劇場で観た「松平健オンステージ」。 私はその夜発熱した。 それくらい、衝撃的なステージだったのだ。 あれから20年。 いまは何度目かのマツケンブームだとメディアでは報道しているが、けしからん! マツケンはずーっとブームのままだよ! いつだって旬だよ!! 今月、再びマツケン様の舞台を観に行く。 果たして私は無事でいられるのだろうか。 らぶ。マツケン。

          マツケンサンバ

          負け犬の遠吠え

          かつて、こんなタイトルのエッセイ本が話題になった。 たしかミレニアムの頃だったと思う。 酒井順子さんによるその本を読んでいないので確かではないのだが、 "いい歳をして嫁に行っていないオンナを負け犬と総称し、そう言う女子が何を主張しようが所詮は遠吠え" こんな主旨として世間では話題となっていた。 当時も、そして今現在も私は負け犬に該当する、照っ 当時私は女子会でこう言った。 "わたし、負け犬じゃないもん! こんなに頑張って働いてるし、幸せだと思ってるもん! そもそも私は

          負け犬の遠吠え

          父の背中

          テレワークを選んだ今日。 昼休みの時間に近所まで買い物に出た帰り道、向こうから歩いて来るひとがいた。 父だった。 近所に住んでいる両親とは、ときどき路上で出くわすのだ。 コロナ以降、年配の両親に万一のことがあってはならないと、実家訪問を避けている。 だから、たまたま路上で両親に出くわすと、ことのほか嬉しい。 特に気の合う同士の父と出くわすと嬉しくてきゅんとする。 前々回出くわしたときは、父は片手に雨傘を持っていた。雨上がりだったから。 前回出くわしたときも雨傘を手にしてい