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るつぼとサラダボール、そしてモザイク文化の世界から 「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」

少し前に同僚と、「どの世代にも刺さるエンターテイメント」について話していた時、この作品について教えて頂きました。新潮社の「一生モノの課題図書」というタグラインが、自分の心を持っていったのも事実です。課題図書…なんだか懐かしい響きであり、すぐに読み始めました。

作品はイギリスで暮らす作者、ブレイディみかこさんとその息子さんとのお話。息子さんの中学最初の1年半を書き綴っており、その多くは友人関係、保護者や教師、地域といった学校生活から生まれた親子の会話です。しかし、この親子、思いを言葉にするのがとにかく巧み。それぞれの視点から見る貧富や人種という大きなテーマが、毎日の生活にブレンドされ、それを家族や地域、そして個人の尊重という大切な思いでコーティングされるので、とても優しく、そしてかなり現実的に読者に伝わってくる文章です。

今の世の中、人物や正確性も見えないSNSのテキストに対し、短絡的に一喜一憂する人が多いような気がします。そんな人にこそ、私はこの本を「課題図書」にしてあげたい。そんな事は一言も本作は言っていませんが、「言葉や会話の力は何から生まれるのか」という事をこの本は教えてくれます。それは自分が住む地域、そして国、生まれたルーツ、生まれ育った文化、逢ってきた人々、まさに今会う人、そういう壮大な時間や社会のウェブを通じて、自分となって、そこからその人の「言葉の力」が生まれるのだと思うのです。だからこそ、単純にこの本をカテゴライズしたくないと思っています。まあ、普通なら母子がテーマであるから「家族・教育」や、外国での生活を書いたという事で「国際文化」というジャンルに投げられそうですが、その偏見は楽しみを半減させてしまうような気がします。読む前に取り払った方が良いでしょう。

私は長く二つの国で暮らした経験があります。日本と米国。米国はカリフォルニア州ロサンゼルスでした。今でもLAとは仕事や人間関係を通じて毎日繋がっており、人種や貧富の差は、日々の生活の中で確かに存在しています。サウスセントラル地区で発生した1992年4月の暴動事件もまだ歴史に新しいところですし、大学時代はOJシンプソンの裁判官が日系人であったことから、判決次第では日系は勿論、アジア系は全てOJ信者である黒人による暴行の対象になるということで、外出しないことを勧められた事もありました。自分自身も何度か直接、忘れがたい差別を受けた事もあります。一人で入国した初日から。ただ、それと同時に、海や巨大な国際空港、国境に面したLAには全体的に多文化を尊重する空気があるのも事実です。アメリカの中では、住みやすい場所であると思うのです。この本の親子が住むイギリスやヨーロッパの方が、人種や貧富の差が如実に地域に表れ、区別されているような気がします。

LAでの経験がそうさせているのか、人種や地域を考えるときは必ずといって、人種・民族文化を語る時に聞かされた「3つのワード」を意識します。

人種のるつぼ (aka. melting pot):多国籍多文化が溶け合い、ひとつになること。NYは人種のるつぼだと聞く事もあるけれども、実際に言うなら、南米のように混血が進まないと現実的ではないのではないかと思います。サラダボウル:多国籍多文化が溶け合わずに混じり合って存在する状態。LAはまさにそうでしょうね。モザイク:異文化がそれぞれ独立して存在しているような地域。移民が多く、その国の言語を習得しなくても暮らしていけるような地域です。

外国に住まなくても、インターネットの発達により、情報はグローバルに取得・発信が出来る毎日です。それは国際的な情報だけではなく、遠い国の田舎の新聞を読んで、「へぇー今日は、村でいちごの収穫を祝うイベントがあるんだ」という、全く自分の生活に関係のない事を知る事だってできます。ただ、人間は所詮アナログです。それを安易に自分の経験としてダウンロードする事は、残念ながら出来ません。その国で生きて、その地域で暮らし、そこのものを食べ、そしてアメーバのように文化が自分の血や肉となり、初めてそこからものを見て、言葉にして発するからです。そこから自分と違うものが見えたとき、日本語を背景とした感覚で「違う(different)」と「違う(wrong)」が一緒の言葉で思うのか、それとも目の前にある現実を自分と地続きの同じプラットフォームに感じるかとで、初めてその「概念」がその場所で生きる「あなたの言葉」になると思うのです。

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